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第一展示室(学問)

名前 生年・没年 説明
中江 藤樹
ナカエ トウジュ
1608~1648

我が国陽明学の
始祖

近江国高島郡小川村(現滋賀県)生まれ。9歳の頃伊予国に来て、長じて大洲藩家臣となる。朱子学を学び、後、近江に帰り陽明学を究め「近江聖人」と呼ばれた。
江嶋 為信
エジマ タメノブ
1635~1695

今治藩家老
兵学者
作家

日向国飫肥(現宮崎県)藩士の三男に生まれる。京都で伊藤玄亀に兵学を、江戸で荻生徂徠古文辞学を学ぶ。仮名草子「身の鏡」「理非鑑」を著し、兵法書も著す。寛文8年今治藩に仕え、元禄4年、家老となる。今治藩家老として、太田流軍学による藩の兵式体制の改革など藩政へ貢献した。
尾藤 二洲
ビトウ ジシュウ
1747~1813

儒学者

宇摩郡川之江村(現四国中央市川之江町)生まれ。大坂(現大阪)に出て、苦学の末私塾を開き朱子学の普及に尽くす。幕命で就任した昌平黌教授を約20年間務め、寛政の三博士の一人といわれた。
青地 林宗
アオチ リンソウ
1775~1833

蘭学者

松山城下(現松山市)で、松山藩医の家に生まれる。杉田玄白の門下生として蘭学を修め、幕府天文方の翻訳方となる。『気海観瀾』を著し、我が国に初めて物理学を紹介した。
近藤 篤山
コンドウ 
トクザン
1766~1846

儒学者

宇摩郡小林村(現四国中央市土居町)生まれ。大坂(大阪)で尾藤二洲に朱子学を学ぶ。川之江に開塾後、小松藩に招かれ、子弟の教育にあたり「徳行天下第一」と称され「伊予聖人」といわれた。
高野 長英
タカノ 
チョウエイ
1804~1850

蘭学者

陸奥国胆沢郡水沢(岩手県)生まれ。『戊戌夢物語』で幕政を批判し投獄されたが、脱獄して宇和島を訪れ、藩士に蘭学を教え、兵書の翻訳や御荘砲台の設計などを行った。
二宮 敬作
ニノミヤ 
ケイサク
1804~1862

蘭学者

宇和郡磯崎浦(現八幡浜市保内町)生まれ。長崎でシーボルトの門人となり、シーボルト事件で連座し帰郷。宇和島藩に仕えながら卯之町で開業医として活躍。シーボルトの娘イネを養育した。
矢野 玄道
ヤノ ハルミチ
1823~1887

国学者

喜多郡阿蔵村(現大洲市)生まれ。幕末に、国学の振興や王政復古運動に従事し、明治維新後は、政府に国家構想をまとめた意見書を提出。後に、皇典講究所の文学部長となった
村田 蔵六
ムラタ ゾウロク
1825~1869

蘭学者
軍政家

周防国吉敷郡鋳銭司村(現山口県)生まれ。宇和島藩主伊達宗城に招かれ、宇和島で7年間にわたり蘭学の指導・普及、軍艦・砲台の建造などに従事した。後の大村益次郎。
楠本 イネ
クスモト イネ
1827~1903

日本人初の女医
(産科)

肥前国長崎(現長崎県)生まれ。シーボルトの娘で、二宮敬作に卯之町で養育される。石井宗謙に産科を学び、東京で開業。明治6年、宮内省御用係を拝命し、若宮誕生に携わった。
三瀬 諸淵
ミセ モロブチ
1839~1877

蘭学者

大洲城下の中町(現大洲市)生まれ。二宮敬作に蘭方を学び、再来日したシーボルトの最後の弟子となった。イネの娘高子と結婚。大阪に医学校兼病院を開設し、後輩の育成にも当たった。
穂積 陳重
ホヅミ ノブシゲ
1855~1926

民法学者

宇和島城下の中ノ町(現宇和島市)生まれ。帝国大学法科教授として東大法学部の基礎を確立した。我国最初の法学博士で、民法・戸籍法などを編纂し「明治民法生みの親」といわれた。
穂積 八束
ホヅミ ヤツカ
1860~1912

憲法学者

宇和島城下の中ノ町(現宇和島市)生まれ。東京帝国大学教授。明治法学界の重鎮となり、貴族院議員に勅撰され、宮中顧問官も務める。
西園寺 源透
サイオンジ 
ゲントウ
1864~1947

郷土史研究家

宇和郡川内村(現宇和島市)生まれ。愛媛の政財界で活躍後、景浦稚桃らと「伊予史談会」を設立。郷土資料の収集整理や古文書の研究を行い、郷土史研究の先駆となった。
佐伯 矩
サイキ タダス
1876~1959

日本における
栄養学の創始者

新居郡氷見村(現西条市)生まれ。明治38年渡米しエール大学で生理化学を学び、大正4年、東京白金に私立栄養研究所を設立、栄養改善を各地で説いて回った。大正9年、国立栄養研究所が開設すると初代所長に就任、栄養の総合的研究で世界的権威となった。
真鍋 嘉一郎
マナベ 
カイチロウ
1878~1941

医学者

新居郡大町村(現西条市)生まれ。物療内科という新分野を開拓後、東京帝国大学医学部の教授として、内科物理療法学の講座を開いた。夏目漱石等の著名人の主治医を務めた。
穂積 重遠
ホヅミ シゲトオ
1883~1951

民法学者

東京府深川(現東京都)生まれ。東京帝国大学教授。家庭法の権威といわれ、法律の民衆化に努め、法文・判決文の口語化を提唱した。後に、最高裁判所判事も務めた。父は穂積陳重である。
大野 作太郎
オオノ 
サクタロウ
1886~1968

教育者
地質学者

北宇和郡下鍵山村(現鬼北町)生まれ。小学校勤務のかたわら南予の地質研究に取り組む。城川町魚成田穂(現西予市)でのアンモナイトの発見は、地質学上世界的な発見として注目を浴びた。
矢内原 忠雄
ヤナイハラ 
タダオ
1893~1961

経済学者

越智郡富田村(現今治市)生まれ。戦前に東京帝国大学教授として植民地政策を批判し、軍部に弾圧され辞職に追い込まれた。戦後、復職し、昭和26年に東京大学の学長に就任した。
細川 一
ホソカワ ハジメ
1901~1970

医師
水俣病発見者

西宇和郡三瓶村(現西予市)生まれ。新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場付属病院長時代、水俣病を発見し、原因究明に取り組んだ。昭和34年、工場廃液を混ぜた餌でネコを発症させ、原因を実証。同45年、肺がんで入院中、裁判の臨床尋問で社内研究の結果を証言し、被害者勝訴に導いた。
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