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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)無事な成長を祈って②

  (エ)初節句を祝って

 八幡浜市真穴(まあな)地区の初節句には、座敷雛(ざしきびな)(写真2-2-5参照)と呼ばれる独特の雛(ひな)飾りが伝えられている。真穴地区の初節句を取り上げる。
 真穴地区は八幡浜の南端に位置し江戸時代の大島(おおしま)、真網代(まあじろ)、穴井(あない)の各地区が合併してできた旧真穴村である。座敷雛は、江戸時代末に穴井地区に始まり、戦後北側に隣接する真網代地区に伝わった。戦前の穴井は綿織物業があり、南予各地から織物に従事する女性が集まって賑(にぎ)わっていた。
 穴井地区の**さん(大正3年生まれ)、**さん(大正8年生まれ)、**さん(大正12年生まれ)、**さん(昭和5年生まれ)、**さん(昭和5年生まれ)および真網代地区の**さん(昭和16年生まれ)の皆さんに話を聞いた。**さんは、「座敷雛は、長女の初節句の時、健やかな成長と幸せな一生を祈って作るものです。作らないとその子の持って生まれた禍(わざわい)を取り除けないと言われていました。長女が誕生すると、親戚から贈られた雛人形を使って座敷雛を作ります。その時に、隣近所からいただいた産着などの贈り物を、座敷雛の横に置いてお披露目(ひろめ)する家もありました。今の雛祭りは新暦の4月2日、3日に行われています。座敷雛を飾るのはその両日だけです。いつまでも残しておくと、女の子の縁談が遅れるといわれていましたので、せっかく1週間もかけて作ったのに4日の雛あらしには片づけてしまいます。
 お雛様にお供えする食品は、味噌(みそ)とワケギをセットにして箸(はし)を添えたもの、それに赤、緑、白を3段に配したひし餅(口絵参照)があります。今は上下の餅の大きさは同じですが、戦前は上に行くほどだんだんに小さくなっていました。色の順番は、置く場所に応じて変えています。ほかにとじまめといって色とりどりのあられと炒(い)った米を水飴で丸めたもの、上段が赤で下段が白の鏡餅、巻きずし、それに本膳を供えます。本膳(ほんぜん)には、白いご飯、タイやイセエビを入れた吸い物、香の物、お平(浅くて平たいお椀(わん))にはサトイモ・ゴボウ・豆腐・シイタケ・高野(こうや)豆腐などのうち幾つかの煮物とくずし(かまぼこなどの練り製品)、和(あ)え物などを置きます。さらに夏ミカンなどの果物、タイやイセエビ・サザエ・アワビなどの魚介類を供えています。」と言う。**さんは、「お雛様は動いているものを喜ぶというので、イセエビや貝は生きて動いているのをお供えします。初節句ではない普段のお節句でも、少しの量でもよいからアサリやマルニナ(スガイ)など生きているのを必ず供えるようにしていました。」と言う。
 座敷雛のお供えで特徴的なのが味噌とワケギ(写真2-2-6参照)で、**さんは、「何はなくともこれだけは供えていました。」と言う。ワケギは角繰(つのぐり)といってゆでた後折りたたんでぐるぐる巻きにしてある。**さんによると、「この味噌とワケギは、お雛様の好物だからという説や、味噌はその味からまろやかな人柄を表現し、娘の人格円満な成長を願ったものであり、ワケギは株分かれして次々に芽が出ることから子孫繁栄を祈るものだとの説もあります。」と言う。**さんもワケギについて、「ネギは種で増え、ワケギは株で増えるので、ワケギでないと駄目なんです。」と言う。
 **さんによると、「4月4日の雛(ひな)あらしは、午前中に座敷雛を片づけた後、夕刻からお祝いをもらった親戚の人や座敷雛を作るのを手伝った人たちを集めて宴会をしていました。」と言う。
 **さんは雛あらしに鉢盛料理が出される場合について次のように話す。「前の海でとれた魚を利用していました。ハマチの刺身の鉢、めんかけの鉢、これはタイ・イトヨリなどの白身魚を薄味に煮つけて、大きさによって1匹か2匹を盛り鉢に置き、そうめんを波の形にして並べたものです。盛り合わせの鉢には、巻きすで絞ったすぼ豆腐やサトイモ・タケノコ・コンブなどの煮物、砂糖やニッキ(肉桂)を入れ緑や赤に着色した寒天、羊羹(ようかん)、かまぼこや天ぷらのくずしなどを盛りつけていました。酢漬けの鉢には、海藻類やタコ・サザエ・アワビなどを使い、味付けした酢をひたひたにかけます。みがらしの鉢は、湯がいたサザエ・タコ・こんにゃく・フカ(サメ)やすぼ豆腐など盛って、みがらしで食べる料理です。丸ずしの鉢に盛られる丸ずしは、おからにゴマ・ネギ・オノミなどを入れて酢で味付けし、それを酢になじませた魚に挟み込む料理です。魚を3枚におろしておからを巻く場合もあります。煮つけ魚の鉢や煮豆の鉢などもありました。ご飯ものは、巻きずしやいなりずし、赤飯、ちらしずしを準備していました。」**さんは、「座敷雛に供えた魚介類も、この雛あらしの時に使っていました。タイは鮮度が落ちて使えませんでしたが、貝やイセエビは夜間に潮水に漬けて保(も)たせて使っていました。」と話す。
 **さんは、「飲食は雛あらしの日だけではありません。戦前には、現在(平成15年)のように座敷雛作りを指導する棟梁(とうりょう)のような人もいませんでしたから、親戚や近所の人が大勢集まってきて、飲み食いしながら相談して作っていました。作っている間は、毎晩小祝宴の状態になり、地域の人々の親睦にもなっていました。」と言う。

写真2-2-5 座敷雛とお供え

写真2-2-5 座敷雛とお供え

八幡浜市真綱代。平成15年4月撮影

写真2-2-6 味噌とワケギ 

写真2-2-6 味噌とワケギ 

平成15年9月撮影