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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(3)嫁の里帰り

 『日本民俗学講座 社会伝承』によると、里帰りには、里に手伝いに帰るもの、出産で長期間帰るもの、衣服の調整に帰るもの、嫁入り直後の里帰り、正月・彼岸・盆など節句に合わせて帰るものなどがある(⑫)。ここでは嫁入り直後の里帰りである「三つ目」と、麦うらしに行われる嫁の里帰りを取り上げる。
 ミツメ(三つ目)…嫁入り直後の里帰りである。結婚後、数日たって三つ目という里帰りが行われる。婚姻の儀式と一体化していたもののようである。期日は、三つ目つまり3日目に帰るのが多いようである。結婚式が1日で終わる場合にはフタツメ(二つ目)もあった。
 麦うらし…麦の収穫が始まる直前の不特定の日に設定されていた、休日の呼び名である。この行事は、苗代作りやもみまきが終わり、次の麦刈りからは夏作への多忙な時期を迎えるその直前の一休みの意味を持つのである。この日に嫁が里帰りをする習慣を持つ地域があった。『愛媛の民俗』によると、「若嫁が里へ麦うらしで休みに行くときには、たいていぼたもちやすしなどの何か手みやげをもって行った。これは松山地方での一般的風習だが、東予の新居浜地方では焼米やサワラ、タイなどの魚を持参した。これをマメネング(豆年貢)といっている。(⑤)」と述べている。
 新居浜市の垣生地区は新居浜平野の東部にあり燧灘(ひうちなだ)に面している。当時は農業と漁業の集落で、農業は稲作が中心、漁業はさわら漁やとりかい(バカガイのこと)漁、一時期はノリの養殖も盛んであった。特にさわら漁は、「じょうさ節」にも『垣生の名物 女乙(めのと)のさくら 浜にゃ大漁(たいりょ)の鰆船(さわらぶね)』と歌われているように活発なさわら網漁を行っていた。新居浜市垣生の**さん、**さんに嫁の里帰りの習俗を聞いた。
 **さんは、「結婚式が済んで3日目くらいに、お嫁さんは里に帰っていました。これを三つ目と呼んでいました。その時には、メリケン粉(小麦粉)を材料にした紅白のまんじゅうや赤飯を持って帰るのです。これをヘヤヌクメと言っていました。紅白まんじゅうは、お砂糖をお菓子屋さんに持って行って作ってもらっていました。」と回想する。
 また、**さんは、「垣生では麦うらしなどの特別な呼び方はしませんでしたが、サワラ時分(サワラがとれ始める新暦5月)になると1mを超えるような大きなサワラを、嫁入り先で買ってもらって、お嫁さんがお里に持って帰っていました。新しく来たお嫁さんは例外無くそうしていたし、それを2、3年続ける家もありました。」と言う。サワラをもらった嫁の里では、自分の親戚や婚家の親戚を呼んで宴席を持つ。**さんは、「サワラは刺身、焼き魚、お吸い物にして使いますが、たくさんお客さんを呼びますからそれだけでは足りないので、その他の料理も準備していました。」と言う。
 この時の料理について、**さんは、「サワラの料理のほかに、レンコン・ゴボウなどの煮しめ、エビ(シバエビ)・レンコン・ゴボウなど野菜の揚げ物、肉の甘煮(うまに)などが作られていました。また、ご飯ものは押しずし(口絵参照)・ちらしずし・赤飯などです。」と話す。なお、口絵の押しずしについて、**さんは、「ちらしずしを押しぬきにしたのが押しずしで、何かあるとこれを作り、お客のお土産に持たせていました。コノシロやスズキなど酢になじむ魚を使って、3枚におろし塩を振ります。それを刺身より大きめに切って酢に漬け、酢が白濁したらその酢に塩や砂糖を入れて、合わせ酢を作る。魚を漬けた酢を使うのが垣生のすしの特徴です。最後に錦糸卵や小エビ(シバエビ)で作ったそぼろ、先に酢漬けにした魚を載せてできあがりです。すしの具としては、シイタケ・ゴボウ・ニンジン・レンコン・小エビ・揚げ・タケノコなどが入ります。」と話す。
 **さんは、「翌日にお嫁さんは帰っていましたが、前夜の料理の余り物やお菓子、それにお茶などを持ち帰るくらいで、特に決まったお返しがあったわけではありません。」と言う。