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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)山菜のあるくらし

 新宮村は、県の東端に位置し、法皇(ほうおう)山脈と四国山地に囲まれた山間(やまあい)の地である。平地は少なく、集落や畑の多くは急峻(きゅうしゅん)な傾斜地に開けている。木材生産とシイタケ栽培が主産業であるが、香りの高い新宮茶が昭和29年(1954年)より本格的に栽培され始め、村の特産品となっている。

 ア 山畑を耕す

 **さん(新宮村馬立(うまたて) 大正9年生まれ)に山村のくらしや食生活などについて聞いた。
 新宮村馬立地区にある**さんの家は、村の中心から国道319号を西に走り、新宮ダムを過ぎたあたりから左に折れ、急勾配(こうばい)の山道を登ったところにたたずむ。現在**さんが山畑を耕し、穀物や野菜、お茶、ゼンマイなどを栽培しながらくらしている。
 「私は昭和12年(1937年)に18歳で結婚しました。主人が昭和16年(1941年)に戦争に召集されたため、残った両親と幼い子どもに食べさせるために夜を日に継いで働きました。やがて過労から病気(肋膜炎(ろくまくえん))になりましたが、幼い子どもがお粥(かゆ)を炊いてくれてありがたかったです。とにかく食べていくのがやっとで、栄養面まで考える余裕はありませんでした。
 山間部で水田がないため、畑で麦やアワ、野菜などを栽培しました。麦は丸麦のため二度炊きし、よまし麦にして、その中に少しお米を入れて炊きました。お粥にはサツマイモやジャガイモを入れて炊き、量を増やしておなかを満たしました。当時はほぼ毎日お粥を食べていたのでおひつ(ご飯を入れる木製の容器)やあじか(竹で編んだかごでザルの一種)などは使用しませんでした。
 力のいる精麦では、体重が足りないため子どもをおぶってだいがら臼(うす)(足踏みで殻類などを搗(つ)く道具。から臼(うす)ともいう。)で搗きました。
 当時、一日に米1合(約0.18ℓ、約150g)の配給がありましたので、片道15kmの道のりを歩いて配給を受けに行き、帰宅すると夜になって、体は疲れ果てていました。また、親に米のお粥(かゆ)を食べさせたいために、2斗(約36ℓ)の麦を背負って山を下り、1斗の米と交換し、経済警察官(*1)を避けながら遠回りして帰ったという孝行話も聞いたことがあります。保有している麦は1年先まで保存し、親戚(しんせき)などと助け合いながら生活してきました。
 塩は広島県の因島(いんのしま)から業者が売りにやって来ました。高価ですが必需品だったので、多くの穀物を出して交換し、漬物や保存食をいろいろ作りました。味噌(みそ)、醬油(しょうゆ)は自家製で、麹(こうじ)は自分がくず米で作りましたが、種麹(たねこうじ)がないために失敗することも再三ありました。また、戦時中は砂糖の代わりにサツマイモや芋飴(いもあめ)、麦のモヤシなどで代用しました。
 子どものころは、麦ご飯にもろみをかけたお茶漬けを食べては学校へ通いました。今でも温かい麦ご飯に味噌やいりこを混ぜて食べた味が忘れられません。弁当は、サツマイモや粗くひいたトウキビ(在来のトウモロコシ)の中に米を少し混ぜて炊いたいもご飯やとうきびご飯でした。
 日常の食事では、主食は麦ご飯や炊き込みなどで、副食は味噌汁や煮しめ、干物、うどん、漬物などであり、うどんといってもだいこん汁にうどんがぱらりと入っただけのものでした。魚は伊予三島や川之江の行商人が一週間に一度タラの干物やちくわなどを丸かごに入れて売りに来るのを購入しました。
 裸麦や小麦・キビ・ソバ・アワなどの雑穀はたくさんできましたので、餅(もち)やおはぎ、雑炊(ぞうすい)にしてよく食べました。ヒガンバナの根から作った“白い餅”も食べましたが、米粉の餅のように白くきれいでした。ただヒガンバナの根には毒があり、水で何度もさらさないと頭痛や吐き気をもよおしました。
 特別な日には、すし、餅、団子(だんご)や豆腐、こんにゃく、野菜の和(あ)え物、煮魚などを作りましたが、魚は町(現川之江市上分町)まで買いに行くため、帰るまでに腐ることもありました。
 昔からフキやフキノトウの佃煮(つくだに)、ナスのからし漬け、ダイコンの漬物、寒干しだいこん(写真3-1-2参照)などを作り続けております。親戚(しんせき)の者は毎年これらの品が届くのを、首を長くして楽しみに待っています。」
 **さん(新宮村上山(かみやま) 昭和3年生まれ)に、子どものころと結婚後のくらしや食について聞いた。
 「子どものころ父は農業を営み、米・麦・アワ・キビなどの穀物やネギ、ダイコンなどの野菜のほかにサツマイモを多く作っていました。タバコも栽培していましたが、本葉は青い葉を採取し、家の中で黄葉になるまで乾燥した後よく天日(てんぴ)乾燥し、中葉は黄色く熟れた葉を取り、同様に天日乾燥して出荷しました。ゼンマイやシュロは現金収入になりました。子守や炊事の手伝いもよくしましたが、終戦前の3年間は、女子挺身隊(ていしんたい)(太平洋戦争後期に、労働力不足を補うために作られた女子の勤労動員組織)として新居浜へ行き、麻工場で働きました。
 昭和20年(1945年)に結婚し、警察官の夫と神戸で生活していましたが、昭和24年兄の死去に際して帰郷し、農業を始めました。主にサツマイモを栽培し、収穫したイモは負い台(背負い運搬具)に載せて県道まで運びました。サツマイモはそのまま出荷するか、切り干しに加工して販売しました。
 日常の食事は米が少し入った麦ご飯や雑炊(ぞうすい)、サツマイモが多く、回数は一日4回でした。煮炊きにはいろりやおくど(かまど)を使用し、大きな釜(かま)や鍋(なべ)で調理しました。
 おやつはかんころ(他の地域ではひがしやまともいう。)や切り干し、つるしがき、麦のはったい粉(麦の新穀を炒(い)って挽(ひ)いた粉末)などでした。かんころはサツマイモを薄く切り、縄を通して茹(ゆ)でたのち干して保存しました。麦のはったい粉には砂糖を入れて食べましたが、麦が良くできる地域なのでトウキビはあまり作りませんでした。」

 イ 山菜摘み、きのこ狩り

 3月の雛(ひな)祭りのころになると野山で山菜が芽を出す。ミツバやセリ、次いでフキノトウ・ツクシ・ゼンマイ・ワラビ・イタドリ・ウドなどを次々に採取することができる。4月初旬にはタケノコ掘りが始まり、下旬にはタラの芽も食べられる。
 また、冷たい風が吹き始める10月ころになると、きのこが生え始め、きのこ狩りの季節となる。マツタケ・シイタケ・ホンシメジ・マイタケ・ナメコなど古くから食材として利用されてきた。
 山菜の採取について、**さん(新宮村新宮 昭和26年生まれ)に話を聞いた。
 「山菜が出る前になると胸を躍(おど)らせて待ちます。3月から5月にかけて新宮村全体で採取しますが、場所により多少時期が異なります。3月初旬のフキノトウに始まり、ツクシ・タケノコ・ゼンマイ・ワラビ・フキ・イタドリ・ウド・ミョウガなどを採取します。ゼンマイはワラビより早く4月中に採取しますが、綿の部分を除き茹でて天日(てんぴ)で干し、何度ももみます。できあがるまでに三日ほどかかります。料理に使用すると、1kgの干しぜんまいで100人分程の煮物ができます。戦前は野生のものばかりでしたが、戦後になって値段が良いために株を植えて栽培するようになりました。タケノコ・ワラビ・イタドリは塩漬けにし、なじんで軟らかくなったものを保存しておけば一年中使用できます。夏の野菜のない時や来客があったような時に塩ぬきをして使います。」
 また、**さんは、「ゼンマイやワラビ・タケノコ・ウド・タラ・フキ・イタドリなどを3月ころから自分の山で採りました。ゼンマイは乾燥保存し、ワラビやタケノコ、イタドリは高知から来る塩屋(しおや)のにがり塩を使って塩漬けにして保存しました。またタケノコは湯がいて乾燥しておけば、おいしく食べることができました。ウドは春だけでなく、他の季節にも採取できました。秋にはきのこ狩りに行き、マツタケ・シメジ・コウタケなどを採り、シイタケはナラ・クヌギ・シイなどの木に自然に生えているものを採取しました。」と言う。

 ウ 山菜料理と保存食

 山菜はあく抜きのために加熱し、水にさらせば秋ごろまで利用できる。また山菜は、カロリー源としてはあまり期待できないが、ミネラル、ビタミンが豊富で、食欲の増進になる。
 山菜料理について、**さんは、「近年は、フキノトウ・イタドリ・ユキノシタ・アザミ・フジの花・イワタバコなどを天ぷらにしていますが、以前は山菜をいろいろな料理に活用しました。イタドリはゴマ酢和(あ)えやいため物に、フキはタケノコとの煮物や佃煮(つくだに)などにしました。佃煮の作り方は、フキを水洗いして5~6cmに切り、一晩水に漬けておきます。取り出してよく干した後、醬油で煮てから、次に一度煮たフキにさらに醬油、酒、みりんで味を整え、弱火でゆっくり煮詰めます。砂糖は好みで加え、キクラゲやしらす干し、サンショなどを入れるとよりおいしくなります。」と話す。
 **さんは、「昔は塩漬けにした山菜を水に戻していろいろな料理を作り、一年間おいしく食べました。ワラビは茹(ゆ)でてあく抜きをした後、卵とじにしました。タケノコ・ゼンマイ・フキは煮物にし、イタドリはゴマと和え物にしました。ウドは生で酢味噌などを付けて食べ、タラは天ぷらにしました。ゼンマイやミョウガを入れた山菜そばも作りました。」と言う。
 さらに、「現在、保存食として、栗の渋皮煮やゆみそ(柚味噌)を作っています。渋皮煮は自家製の栗を使用し、渋皮を残したまま炭酸を入れると真っ黒な汁になるので、6、7回沸かしては汁を捨てます。次に栗が浸るまで水を入れ、氷砂糖を加えた後とろ火で2時間ほど煮ます。最後にウイスキーを加えて冷凍保存すればよいので、たくさん作れるようになりました。またゆみそは、ユズの皮を剥(む)き、湯につけて沸かしあく抜きをした後、味噌や醬油、砂糖を加えてとろ火で1時間ほど煮ると出来ます。」と話す。


*1:経済警察官 第二次大戦中、経済統制違反を取り締まるため、設けられた警察組織の警察官。

写真3-1-2 寒干しだいこん 

写真3-1-2 寒干しだいこん 

新宮村馬立。平成15年1月撮影