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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)食膳を彩る海の幸

 ア 海辺の生活

 大西町は高縄半島の北西部に位置し、山之内(やまのうち)川が町域を南北に貫流している。昭和30年代には造船、タオル、縫製(ほうせい)などの工場が今治から進出し、特に「造船の町」のイメージが強くなった。内陸部には水田が開けるが、丘陵(きゅうりょう)地域から山間部にかけては傾斜地を利用した柑橘栽培が盛んである。
 大西町脇(わき)地区の**さん(大正14年生まれ)と大西町星浦(ほしのうら)地区の**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和6年生まれ)に、大西町の当時のくらしや日常の食事、台所用具などについて聞いた。
 「私たちが子どものころは、大西町別府(べふ)の海岸は白い砂浜が続き、水は澄み、ボラがたくさんとれて大変おいしかったです。また、波方町小部(おうべ)の漁民がこの辺りの漁業権を持っており、浜で網を引いた時、売れない小魚は捨てて帰っていたのでそれらを持ち帰り、さつまをよく作りました。
 田畑には米や麦、サツマイモやジャガイモなどのいも類、キュウリやナス・ダイコン・ネギなどの野菜を栽培しました。また、ウシやウマ・ヤギ・ヒツジ・ニワトリなどを飼い、自給自足の生活を送りました。学校から帰ると田畑の草引きや稲を刈った後の落ち穂拾い、株切り、かまどで使うためのすくず(松の落ち葉)や薪を集めによく行きました。農繁休業に入ると早苗(さなえ)取りや田植え、稲刈りや脱穀などの手伝いをしました。弟や妹の子守や風呂焚(た)きも子どもの仕事でした。
 日常の食事は麦ご飯で、副食は味噌汁や漬物、家庭で作ったうどん、干物、酢物、干しだいこん・ジャガイモ・タケノコの煮物などでした。季節によってはエンドウマメやソラマメの入った豆ご飯や炊き込みなどの時もありました。夏の暑い時にはいぎす豆腐もよく食べましたが、冷たい舌ざわりと風味がなんともいえませんでした。主食の米・麦を補うためにサツマイモやうどん、そばなどをよく食べ、副食として煮豆や煮しめもしばしば食卓にのぼりました。夏季にはご飯やおかずの余りは、したみに入れて井戸につるし腐敗を防ぎました。また、スイカやトマト、マクワウリなどは井戸水で冷やしておいしく食べました。
 おやつは蒸かしいもやはったい粉、アズキを使ったおはぎやお焼き、はちの巣、かき餅などのほかに、庭や野山にあるビワ・ザクロ・ナツメ・ヤマモモ・ユスラ・ゴイブ(ナワシログミ)・イタドリなどでした。
 また、田植えの後のサンバイアゲにはしば餅やおこわ(写真3-1-16参照)を作り、稲刈り後の秋休みにはもぶりや炊き込みなどを作って疲労回復をはかりました。
 弁当はうめぼし弁当が普通でしたが、夏の海水浴の時などに、こうら(ほうろく)で焼いてもらった焼きおにぎりはおいしく楽しみでした。味噌や醬油などの調味料は自家製で、ひしおも夏に各家庭で作り、焼き魚やキュウリ、ナスなどの野菜につけて食べました。漬物は、たくあん、らっきょう漬け、梅干し、はりはり漬けなどでした。精米や精麦にはから臼(うす)を使用し、煮炊きはかまどを使いました。
 台所用具では、臼・ひき臼・羽釜(はがま)・鍋・茶釜・せいろ(蒸し器)・こうら・すり鉢・包丁・まな板・むろぶた・すしはんぼう・重箱・柳ごうり・桶(おけ)・壺(つぼ)などを使用しました。」
 波方町は、高縄半島の最北部に位置する。三方が瀬戸内海に面し、海運業が盛んで、その一部は国内だけでなく東南アジア方面でも活躍している。今治市と隣接する関係から繊維産業も盛んである。また耕地面積の大部分を果樹園が占め、柑橘類などを栽培している。漁業人口はわずかであるが、小部沖の漁場で小型底曳(そこび)き網や刺し網によりタイやヒラメ、エビ、タコなどを水揚げしている。
 波方町波方地区の**さん(昭和10年生まれ)と**さん(昭和14年生まれ)に、子どものころのくらしや日常の食などについて聞いた。
 **さんは、「父親が海運業で貨物船を1艘(そう)所有していましたが、子どものころはまだ木造船でした。毎年正月にはほとんどの船が帰って来て、港やその周辺に列を成して係留されました。しかし、現在は外国航路で仕事をしている船が多く、正月でもあまり帰らなくなりました。昔は船が多く、出港する船に食料品など多くの荷物を積み込む風景は非常に勇壮でした。1月2日の船の乗り初め前には、“船魂(ふなだま)さん”といって1年間の航海の無事を祈願し、それが終わると船主さんの家の縁側からお金を投げてくれるので、子供の時にはそれを拾いに行くのが楽しみでした。」と話す。
 さらに、**さんは、「家は農家で子供のころはよく手伝いをしました。農繁休業もありましたが、友達の中には忙しい時に学校を休んで手伝う者もおりました。麦刈りや脱穀、田植えや草取り、稲刈り、株切りなどの仕事は辛(つら)くていやでしたが、そのお陰で丈夫な体になりました。
 日常の食事は、麦ご飯や蒸かしたサツマイモのほかに、副食として朝は味噌汁やたくあん漬けなど、昼はキュウリやナスなどの野菜、夜は焼き魚や煮魚、野菜やかき干しだいこんの煮物などでした。秋になると、マツタケやヌメリ、チャタケなどのキノコを採ってもぶりを作り、また、マツタケを湿した新聞紙で包み、焼いておいしく食べました。」と話す。

 イ 種類豊富な瀬戸内料理

 今治市から波方町、大西町、菊間町にかけての燧灘から斎灘(いつきなだ)に面した一帯では、たい飯やタイの浜焼、いぎす豆腐、ヒジキの煮物、でべら(でびら)などの郷土料理があり、しばしば作られている。
 たい飯は、米の上にコンブを置き、うろこをとったタイと少量のニンジン、油揚げを乗せ、塩、醬油、酒を入れて炊く。炊き上がったらコンブを取り出し、タイの身をほぐしてご飯とよく混ぜる。使用するタイは産卵を終えた木の芽ダイ、麦わらダイが最適で、タイの味がご飯にしみ込んで美味である。
 いぎす豆腐は、生だいず粉をイギスで固めたものである。磯の香と冷たい口ざわりの良さが夏の料理として喜ばれ、栄養面でも優れており、お盆の料理には欠かせない一品である(写真3-1-17参照)。『四国の衣と食』の中には、「イギスは浅海の岩などに群生する紅藻類の海藻であり、(中略)梅雨あけの7月中旬から採取して乾燥し、さらに漂白していぎす豆腐の材料とする。(⑬)」と記している。
 ヒジキの煮物は、茹(ゆ)でたヒジキにダイズと短冊に切ったミカンの皮を入れ、油で炒(いた)めた後にだし汁を加えて煮る。ミカンの皮を入れるといっそう風味が出る。
 マコガレイを天日(てんぴ)で干したものをでべらという。このでべらを金槌(かなづち)でたたいて軟らかくしたのち火であぶり、醬油をつけて食べるとおいしく、酒の肴(さかな)にも最適である(②)。
 海藻類の採取時期や方法、それらを使った料理などについて、**さんは、「潮汐(ちょうせき)表(各地の潮汐の予報数値を表にしたもの)を見ながら、わくわくした気持ちで1年中採りに行っています(口絵参照)。採取した海藻は乾燥して自家用にしますが、人にも分けています。採取方法は、イギスやテングサは夏の大潮の干潮時に腰の辺りまで海に入り、クマデで引っ掛けて採ります。ヒジキ・ワカメ・オゴノリ・アオノリなどは岩場で採取します。ヒジキは10月末から3月始めにかけて採取し、煮物、白和え、油炒(いた)め、天ぷらなどの料理に使用します。ワカメは1月から5月ころ採取して酢物にし、めかぶは佃煮(つくだに)や空揚げにします。イギスは7・8月の2か月間採取し、生だいず粉と煮ていぎす豆腐を作ります。テングサは寒天やところてんを作り、醬油や酢味噌で食べます。」と話す。
 この地方の郷土料理について**さん(大西町紺原(こんぱら) 昭和10年生まれ)に話を聞いた。
 「たい飯は冬から春にかけて来客のある時に作りますが、おいしいので喜ばれます。いぎす豆腐はお盆前後のエビの多い時に何度か作ります。作り方は、乾燥したイギスを水に戻し、生エビは茹でて殻をとります。エビの茹で汁はだし汁に使用します。鍋にだし汁を入れ、水に戻したイギスと生だいず粉を加えて、弱火でかき混ぜながらイギスが溶けるまで煮ます。醬油と砂糖で味付けし、殻をとったエビを加え、容器に入れてしばらく置くと固まります。
 ヒジキの煮物は、乾燥したヒジキを水に戻し油で炒めた後、刻んだニンジンや油揚げ、イヨカンや冬ダイダイの皮、だし汁などを入れて煮ると出来上がり、簡単で身体にも良い家庭料理です。」

 ウ 春祭りのごちそう

 『大西町誌』などを参考にして調べたところ、春に大祭が行われているのは、今治地域の市町村であり、全県的に見て例は少ない。春季に行う理由には、秋には悪疫(あくえき)が流行することがよくあったことや食物の腐敗のおそれが多かったこと、春は気候がよく、農閑期が選べること、タイなどのご馳走の材料が得やすかったことなどが考えられる。また、大西町の春祭りは、5月19日神殿で神職・頭元(とうもと)・宮総代その他の役員が参列して儀式が行われ、神輿渡御(みこしとぎょ)となる。渡御の行列は、先頭にやっこ、次に獅子舞・神輿・子供輿(ごし)、その後に神職・神社役員などの列が続く。獅子は、石段や広場で様々な芸や継ぎ獅子の妙技を披露する。神輿がお旅所(たびしょ)に着くと、お旅所渡御の儀式が行われる。その後、神輿は頭元の家や氏子の集落を巡廻し、夕刻になって宮入し還御(かんぎょ)の儀式をして祭典は終わるのである(⑭)。
 春祭りは来客も多く、1年中で一番ごちそうを作る。すしや餅のほかに魚、肉、野菜を使っていろいろな料理を作って来客をもてなす。昔は祭り当日の朝早くから村の各所に魚市が立ち、買い物客で賑(にぎ)わった。
 祭りの料理について、**さんは、「餅は前日にたくさん搗(つ)き、アワやキビの入った餅も作って、来客のお土産にもしました。巻きずしやいなりずしも作りましたが、特にばらずし(ちらしずし)を多く作り、上盛りには酢魚や煮ダコ、エビのそぼろ、金糸卵、レンコン、エンドウなど彩りよくにぎやかに飾りました。タイやサワラ、イカの刺身、メバルやホゴの煮魚、タイの吸物、鶏肉・糸ごんにゃく・エンドウの卵とじ、ゴボウ・ニンジン・レンコン・シイタケ・こんにゃく・コンブの煮しめ、ワカメやヤマノイモの酢物、タケノコの木の芽和(あ)え、茹でたエビなど多くのごちそうを作り、来客をもてなしました(写真3-1-18参照)」と話す。

写真3-1-16 おこわ 

写真3-1-16 おこわ 

大西町紺原。平成15年8月撮影

写真3-1-17 いぎす豆腐の型抜き

写真3-1-17 いぎす豆腐の型抜き

いぎす豆腐は越智郡の島しょ部でも作られる。吉海町津島。平成15年7月撮影

写真3-1-18 春祭りの料理

写真3-1-18 春祭りの料理

大西町紺原。平成15年5月撮影