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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(3)風早の里の味

 北条市は、県のほぼ中央、高縄(たかなわ)半島の北西部にあり松山市に隣接する。高縄山を源流とする立石(たていし)川・河野(こうの)川・粟井(あわい)川などが形成した南北の細長い平野である。かつてこの地域は風早郷(かざはやごう)と呼ばれていた。庄(しょう)地区は立岩川の右岸中流に位置した田園地帯である(⑪)。

 ア 里のくらし

 北条市庄地区(写真3-2-13参照)で農業を営む**さん(大正6年生まれ)と**さん(昭和19年生まれ)親子に、戦前(昭和10年代)と戦後(昭和20~30年代)の食生活について聞いた。
 「戦前、戦後とも農業中心の生活を送ってきました。戦前は米と麦の二毛作とサツマイモの栽培が中心でしたが、戦後は米・麦のほかタマネギ、キャベツなどの野菜栽培が多くなり、経営内容が大きく変化しました。トウキビやタカキビなどはあまり作りませんでした。また、水がきれいで土地が肥えていたこと、水はけがよいこと、風水害が無かったことなど農作物の栽培条件が整っていたために不作の年は少なかったように思います。かつてこの地域の主食は、米と麦の混合飯で、戦前は麦が多かったのですが、戦後は米の割合が多くなりました。また、サツマイモはどの家庭でも自給用として栽培していました。蒸して食べることが多く、イモの餅やかんころなどはあまり作りませんでした。保存用のいもつぼは深さ1m・奥行き2m・幅1m程度の広さで床の下や納屋(なや)に作り、籾殻や敷き藁(わら)で囲い、腐らないように保温に気をつけて保存しました。
 副食は、ダイコン・カブ・タマネギなどの野菜の煮付けが主でした。特にタマネギは、中島(なかじま)町から種を譲り受け、自家用と換金作物として栽培面積を広げ、麦に代わる米の裏作として、昭和30年代後半からは松山中央地域農業改良普及センターの指導や市の支援も受け、現在では北条市を代表する農産物となりました。
 当時の北条地域の一日の食事は、4回が普通でした。早朝6時ころの朝飯、10時ころの早昼(はやびる)、3時のお茶づけはおにぎり程度でしたが、午後7時ころの夕食は少し豪華でした。毎回の食事の中身は、麦飯、いも粥、雑炊、味噌汁、漬物、煮物などの繰り返しでしたが、仕事が過酷であったのですぐに腹が減り、すべておいしく食べることができました。
 稲作の作業は大変でしたが、家ごとにウシを飼育しており、田の鋤(すき)かきができたので助かりました。また、田植えが終わる6月と収穫が終わる10月の2回田休みをとり、かしわ餅やちらしずしなどのご馳走を作り家族で楽しみました。当時、わが家でもニワトリを飼い、卵や鶏肉で栄養を補給するなど、食生活を工夫しました。」

 イ 野菜料理を楽しむ

 北条地域は、ダイコン・ジャガイモ・タマネギ・ハクサイ・タカナ・サトイモ・ネギ・カブ・ゴボウ・カボチャ・ナスなどさまざまな野菜栽培が盛んである。
 同市庄(しょう)地区では珍しいダイコンを栽培して、それを使って料理を作り続けているというので、**さんに聞いた。
 「庄・難波(なんば)地区では、地区の名前にちなんで『庄ダイコン』(写真3-2-14参照)と呼びますが、別名『三月こう』とも言います。根の上部が赤く、下が白くて甘みが強く、柔らかいのが特徴で、江戸時代後半から作り始められたものと聞いていますが、その起源については詳しくはわかりません。現在、わが家も伝統を受け継ぎ、このダイコンを大切に栽培して副食や保存食として大切に利用しています。
 庄ダイコンは植える時期が大切で、9月10日前後に植えて12月の収穫というのが一番の理想です。このダイコンはとう立ち、す(ダイコンやゴボウなどの芯(しる)に生じる細かい無数の穴)入りが遅く3月まで食べられるのが強みです。県内では松山市北部(堀江(ほりえ)・福角(ふくずみ)地区)でも一部栽培されていると聞いています。
 保存食は、ダイコンをのれん干しとして乾燥させる丸干しが普通です。丸干しにした庄ダイコンを輪切りにして、油揚(あ)げ、豆腐、ネギを味噌汁の具として食べる“口金汁(くちがねじる)”が代表的な料理です。また、ダイコンをゴボウ・ニンジン・こんにゃく・シイタケ・コンブと混ぜる野菜の煮物やだいこんおろしとする食べ方もあります。
 伝統食としての口金汁は、毎年7月20日に庄地区で行われる「虫祈禱(きとう)」の豊作祈願の縁起物として、きな粉をまぶしたおむすびと共に食べたものといわれます。口金汁の由来は、乾燥した丸干しだいこんを輪切りにしたとき、その形がびんの王冠(口金)に似ていることから言われるようになったそうです。現在では、日常食として年中食べることができます。
 また、現在作られている庄ダイコンの桜漬け(塩漬けしたものをカブス〔カボス〕と米酢の合わせ酢に漬けると淡(あわ)い桃色になる)は、北条市庄地区生活改善研究グループが伝統を受け継いで作っている保存食です。」

 ウ 祭りとごちそう
 
 北条市沖の鹿島(かしま)の春祭りは、北条市を拠点にした河野水軍ゆかりの神輿(みこし)の海上渡御と櫂(かい)練りが有名であり、祭りの翌日には、伊予二見(ふたみ)といわれる寒戸島(かんどしま)と玉理島(ぎょくりしま)の大注連縄(しめなわ)を張り替え、海上安全と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る。秋祭りは、伝馬船(でんません)を二艘(そう)、横に並べてつなぎあわせて櫂練り船にして、神輿を乗せた御座舟(ござぶね)(貴人が乗る屋形船)を引船し、櫂練り踊りを披露しながら斎灘(いつきなだ)を回り神への感謝を祈る(⑫)。
 地域の氏神様の秋祭りは、各地域のダンジリが半鐘(はんしょう)、太鼓で華やかに練り歩くので「風早の火事祭り」と呼ばれている。また、北条市八反地(はったんじ)地区の国津比古命(くにつひこのみこと)神社では、宮入り行事として4体の神輿を高い石段から投げ落とし、オショウネ(神の精魂)が飛び出るまで投げ続ける「暴(あば)れ神輿」の風習が受け継がれている。
 こういった祭りの際の料理について、海鮮料理に詳しい**さん(北条市本町 昭和16年生まれ)に聞いた。
 「各地区とも祭りや祝い事には、魚を食材とした飯をよく作りましたが、特に、浜に住む者はたい飯、ぎぞ(べら)飯、たちうお飯など、それぞれの魚のおいしさを引き出す料理を作って楽しんだものです。平野部の村に住む者は、米や野菜類をうまく生かした巻きずしやちらしずし、煮物が多かったようです。また村では、祭りには必ず祝い餅をついて浜から来た客にお土産として持たせていたようです。浜と村ではそれぞれ生活習慣が違いますが、お互いに祭りを通じて交流を深めました。しかし、現在は地域ごとの料理の違いは少なくなり、一抹(いちまつ)の寂しさを感じます。」
 タイについては、北条では『桜ダイ、木の芽ダイ、麦わらダイ』と呼んで、4~5月の産卵を控えたマダイがおいしいものとしてよく知られている。
 続いて、**さんに、たい飯料理と宝来(ほうらい)焼きについて聞いた。
 「私は米の上にこんぶを敷きタイをまるごと一匹のせて炊き上げる炊き込み風のたい飯(口絵参照)を作ります。うろこと内臓、えらを取って表と裏に切れ目を入れコンブの上にのせ、炊けたらタイの骨を取り身をほぐし、ご飯と混ぜ合わせます。醤油の味つけが大切であり、その香ばしさと潮の香り、やわらかいホクホクの身が魅力です。南予地域のかけ汁風のたい飯とはちがいます。そのほか一番脂(あぶら)の乗り切った冬場の刺身(さしみ)や活(い)き造り、骨蒸し、あら炊き、塩焼きなど季節ごとに豊かな楽しみ方があります。
 また、『宝来焼き』(写真3-2-15参照)は、宝楽焼き、ホウロク焼きとも呼ばれますが、鹿島の祭礼に行われる櫂練の音頭にちなんで命名されたといわれています。幸せを呼び込む縁起物の食材として、タイ・クルマエビ・サザエ・アワビ・カニ・イカ・アジなどの新鮮な魚介類を好みに合わせて選び、塩を敷いたホウロク鍋に並べて蓋(ふた)をし、約1時間蒸し焼きにします。蒸しあがると焼魚と違う味がしてほんとにおいしいですよ。」と話す。

写真3-2-13 北条市圧から陣が森を望む

写真3-2-13 北条市圧から陣が森を望む

平成15年7月撮影

写真3-2-14 庄ダイコン

写真3-2-14 庄ダイコン

根の上部が赤く、下が白いダイコン。北条市庄。平成15年12月撮影

写真3-2-15 宝来焼き

写真3-2-15 宝来焼き

北条市本町。平成15年8月撮影