データベース『えひめの記憶』
えひめ、女性の生活誌(平成20年度)
(3)簡易水道の完成
「昭和50年(1975年)3月、生活改善グループのリーダーが**さんの時、中組簡易水道ができました。総工費1,333万円、学校や保育所を含め37軒約300人の生命の水がその日、音をたてて家々に飛び出したのです。年寄りも子どもも男たちも、皆一様に手放しで喜びました。
それまで、わが家の風呂はいつも濁り水でしたが、その日、風呂の中から『かあちゃん、足が見える。』と言う次男の大声に、私は笑いながら、そしてそれはいつしか涙に変わっていました。
『迸(ほとばし)る蛇口に水を受ける時 夢かと思う程にうれしく **』
当時は、私たちが整備した簡易水道の掃除を月1回、グループのみんなでしていました。ゴミを出して砂をやりかえてきれいにしました。水道完成を聞きつけて視察に来る人が多かったため、その対応に私は仕事を休まなければならず、困りました。私たちに倣って近くの切山(きりやま)地区などでも簡易水道が整備されました。今は上水道になって、簡易水道はなくなりました。」