縄文時代は、御荘湾はもっと奥深かったであろう。波静かな海の幸、山の幸に恵まれた所だったのではないか。平城貝塚を取り囲むように、深泥、節崎などのたくさんの遺跡がある。 弥生時代以降では、大きな古墳等は見つかっていないことから考えると、自然に頼る時代においては、御荘湾を含めた南宇和郡は、ずいぶんと豊かな住みよい所だったのであろうと考える。