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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇柳川でできたことを未来へつなぐには

広松
 住民も行政も、これで一段落したと思いがちですが、決してそうではありません。取り組みは始まったばかり。やっと再生という土俵に上がっただけで、これからが本番。堀を掘り割ったその時から、住民の手による維持管理の努力は、当然の必要事として、永遠に続けていかなければならない。そのことを皆が理解して続けていくようにということで、もう所管を離れてから10年近くなりますが、「水の会」を作って取り組んでおります。
 もともと住民の方々に、堀がきれいだったころの素晴らしい体験があって、「あんなにきれいになったらいいな。」という願いが潜在して、私たちが懇談会を開いてその願いに火を灯して回ったから、うまくいったのだと思います。私にとって、これまでの人生で一番素晴らしかったのは、堀や川がきれいだったころの堀や川の中での、あの素晴らしい体験。住民の方もやはり同じだったわけです。それで、豊かな体験を持った世代がたくさんいる間に可能な限り再生に取り組むことが必要です。
 さて、私も縦割りの一行政マンですけれど、水道をやっている時は、水道のことばかり考えておりました。ところが川をきれいにするためには、住民の理解と協力、参加がぜひとも必要です。いくら金を使っても、住民の参加がなかったら、川はきれいになりません。これは柳川で実験済みです。そういうことで、住民の参加を取り付けるために、住民の中に入っていったわけですけれど。現場に出向いて、住民と膝を突き合わせて話し合っておりますと、住民と行政マンの間の溝も埋まってきます。お互いの信頼関係も、ずっと深まる。お互いの地域づくりへの参加意欲も高まってきます。
 また、縦割りで自分の分野だけで全国一率の国の基準でもって机上でやっていますと画一的で、面白くない。地域の個性もなくなってしまう。全国どこへ行っても、駅前が同じ町並みになってしまっているが、それでは面白くないでしょう。税金の事とか、道路の事は、国の基準どおりやっていても、大間違いしないと思いますけれども、川や自然、地域の農業などにかかわっていく場合は、国の基準では合いません。
 柳川と久万町では、全然違うわけです。川がそれぞれ異なった個性を持っているのと同じように、川によって作られた土地にも、異なった個性や特性があります。その特性や個性をよく知っておられるのは、そこで長くくらしておられる住民。言わば住民は、地域に根ざした存在。その方たちと、膝を突き合わせて話し合いながら進めておりますと、縦割りじゃない視点で、総合的に見ていくので、町の個性が失われることもないです。それに、住民の方の所へ川のことで行っても、それ以外のいろんな相談を受けます。そのことを通じて、行政マンの目や考えも、広くなって、まち全体に及ぶわけです。その行為は民主的であります。一ロで申し上げますと、行政マンが現場に出向き、住民と膝を突き合わせて語り合い、考え合った現場からの発想と協働こそが、本当にいい地域を作っていくということを、堀の再生を通して、現場から学びました。貴重な体験をいたしましたので、併せて御報告いたしておきます。
 先程述べましたように、これまでの人生を振り返ってみまして、一番素晴らしかったことと言えば、あの堀や川がきれいだったころと、年から年じゅう、魚を追いかけ回し、泳ぎたわむれたことです。これは忘れられません。あんなきれいな川を取り戻して、くらしに生かし、それを次の世代に贈っていきたい。そうすることは、先輩たちから豊かな水環境を受け継いだ、自分たちの世代の責任だということで、一生懸命頑張っていくつもりです。豊かな体験を持った世代の責任は重大だと思います。

松井
 どうもありがとうございました。今日は広松先生に、堀割再生物語をたっぷりと話してほしいとお願いしていたんですが。
 さっき言われていた中で、思い出話から入って、住民主体の復興ができたということなんですが。川の思い出がまだある時代、ある間にこれができて、非常に良かったと思います。
 さて、森のことですが、後半のワークショップでは、森と人間生活がもっと接近していた時代、昭和30年ころまで、皆がしていたくらしぶりや木との付き合い方を現在もまだされているという地元の方の話があります。
 今、木との付き合い方を確認しておかなければ、もう木と人間のいい関係を取り戻すのは間に合わないだろうという感じもいたします。
 これで前半の対談講演を終わりたいと思います。御静聴ありがとうございました。