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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅰ-伊予市-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 ミカンでにぎわったころ②

(3)ミカンのハウス栽培

 「私(Aさん)は、昭和42年(1967年)に青果連に出る(専務として勤務する)前、ハウスミカンを始めようと、資材を買っていました。2反(約20a)分の資材を確保していたのですが、青果連に勤務するようになったためにハウス栽培を断念しました。それまでに、県の果樹試験場南予分場で9本のミカンをハウス栽培していて、家内を連れて見に行ったりと準備していたのですが、資材は知り合いに譲りました。
 ハウスミカンは、水を与える時期が決まっていて、それ以外の時期には水を与えないなど、厳しい環境で育てるので、『ミカンの木が何年もつかは今のところわからない。』と、その時は聞いていたので、『これは、2反を一度にやったのではいかん。少しずつ面積を広げていく方法で、木が弱ったらそのとき切り替えていく方法にしないといかん。』と思っていました。ただ、どうも木はもちそうだという見通しもあって、2反にしようと用意しました。
 私が知っているのでは、その前年に南予で2人、ハウス栽培を始めていました。伊予園芸では私たちの取り組みが始まりでした。
 ハウスミカンは8月から出荷できるようになり、9月で出荷が終わります。露地(ろじ)のミカンより3か月から4か月ぐらい早く出荷できるようになるので、いい値がつくようになります。
 私の住む本村(ほんむら)地区に、ハウスミカンをするかどうか、とにかく迷う人がいました。組合事務所に来ては、『ハウスミカンやるけん。』と言って申し込んでは、晩になったら『やめる。』と取りやめる人がいて、そんなやり取りを何度も繰り返した結果、組合の係から『組合長、あそこの申込みは、もう受け付けんようにしました。』と報告を受けたので、『まあ、私(Aさん)の方から話してみよわい。』と言ったのです。その人は、『体が悪い。』と言いながら3町(約3ha)ぐらい露地ミカンを作っていました。それなので、私が家の人に『お宅は、ハウスミカンにして露地ミカンの面積を減らさんと、ご主人が死んでしまうぞ。』と説得したら、『わかりました。必ずやります。』となりました。それでハウスミカンを3反(約3a)やったのですが、たった1年で元が取れました。その年は1kgあたり2,000円から3,000円という高値でしたので、1年で元が取れて、2、3年で家を全部新築にすることができました。その人のお母さんには、『Aさん方には、足を向けて寝られん。』と言ってくれました。それだけハウスミカンは儲(もう)かりました。」
 「私(Cさん)の家のある松尾は、標高が高いので眺(なが)めがいいです。海に近い山なので、うちの山の上に雲ができて、山の向こうに雪や雨が降るようになります。雨が少ない所にもなります。山向こうで何百ミリ降ったとしても、こっちは降らないです。夏に雨が欲しいときでも降らないで困ることもありましたが、雪が降って農作物に被害がでることはないです。雪は、もう25年は降ってないです。堀切(ほりきり)を越えた山の向こう側は、雪が降ります。向こうの人は、雪が降ると仕事になりません。中山(なかやま)なども同様です。海岸沿いは、雪がないのですが、山を越えると雪が降ります。
 私(Cさん)は、水稲栽培をやめた平成元年(1989年)からハウスミカンを出荷し始めました。施設は昭和63年(1988年)からできましたが、1年間は出荷できませんので、平成元年から平成17年(2005年)まで20年近く作りました。冬の寒いときは、時期をみながら温度の調整をするのですが、ミカンの花が満開のときに温度を上げすぎると花が落ちてしまうし、実が大豆(だいず)ぐらいからドングリぐらいの大きさになるときに下げすぎると生育が遅れます。そのため、ある程度の温度は設定するのですけど、寒いときには、栽培面積が2反の場合、1晩でドラム缶(200ℓ)1本分の重油を焚(た)く事がありました。
 ハウス1反に200ℓのドラム缶を3本設置するようになりますから、全体(2反)で6本据(す)えていました。それに次々重油を入れてもらうのですが、長いときには、10日間ぐらいもつのですが、寒い日は、あっという間で、2、3日すれば空になります。本当に寒いときは、1晩1反でドラム缶一つ焚くこともあります。ハウスミカンの内部の温度は一定に保つ必要があるのでそうします。
 私(Cさん)がハウスミカンをやり始めたのは、まわりの人に比べ遅い時期でした。平成の初めごろが伊予園芸管内で一番多かった時期で、ハウス栽培をしている農家が250人ぐらいおりました。そのとき、下灘では50人ぐらいいました。今は、下灘が40人弱ぐらいで、伊予園芸全体で90人ぐらいです(写真2-2-16、2-2-17参照)。私がやっているころは、一番良い秀品で、1kg手取りで700円から800円ぐらいでした。秀品でないもの(優品・良品など)とは全く値段が違います。そのため、秀品が多い人とそうでない人では手取りがかなり違います。1箱20kgで、良いもので2万円ぐらい、悪いもので5,000円ぐらいだったと思います。
 一方、重油代は1ℓあたり35円ぐらいであったものが、近年は1ℓあたり70円から100円ぐらいになりました。それ以外に電気代も必要です。夏になると暖房はいらないのですが、換気扇がいります。真夏になると換気扇を切り、屋根を開けるようにします。最低でも良品を作らないと経営が厳しいようです。
 ハウスミカンは、水が必要でないときに水が入ると1級品(秀品)でなくなるので、ハウスの屋根を空けているときに降雨(こうう)があると、夜中だろうと閉めないといけません。夏場は、温度が上がりすぎ、換気扇だけでは間に合わないので、屋根を開けておかないといけません。そういうときに、にわか雨が降り遠くに居たりすると、間に合わなくなることがあります。水をやるときとやらないときがあるので、それを守るのが大変でした。『雨が降るぞ。』と屋根のシートを閉めにいくと、そうでもなく、すぐに開ける必要があったり、『この雨はたいしたことない。』と思っていると、大雨になり、難儀(なんぎ)したことがあったりしました。
 ハウスミカンで、一番苦労するのが気苦労(きぐろう)です。それは、露地(ろじ)物は失敗して損をしても金額がしれているのですが、ハウスは、失敗したら大赤字になるのです。ハウスミカンは、4月、5月の時期の昼間に、換気扇が2時間動かなかったら、日中はすぐに70度ぐらいになってしまい、商品にならなくなります。毎年、生産者の何人かは、ミカンが焼けて(枯れて)しまって、失敗します。換気扇が動かなかったら警報機が鳴るようにはなっていますが、だいたいはもう手遅れです。
 また、1反に2台暖房機を設置しているので、2反で4台になります。毎朝、その暖房機1台ずつ調べて回ります。そのときに、暖房機が夕べ動いているか動いていないのか、ボタンを押すと数字が出てわかるようになっています。どのくらい動いてどのくらいの状態にしてあったかを記録しているのですが、ときには動いてないこともあるので、それはすぐ故障だとわかります。故障するのは、ボイラーの火が燃えていないのがだいたいの原因です。そのため、特に雷がこわいのです。昔と違って、今は機械で管理しているので、雷に弱いのです。壊れて修理するにも、今は部品をそっくり入れ替えるので修理賃も高いので、必ず調べて回りました。
 冬には、早くハウスに行って、体を暖めようと思いました。家の方が寒いので、特に1月は早く行こうと思いました。夏になると台風があるのが心配でした。とにかく進路が違う方へ行ってくれることを願うだけです。今までに2回、台風によってハウスが飛ばされました。台風のときには、ハウスに行っても怪我(けが)するぐらいが関(せき)の山ですので行きませんでしたが、心配でした。とにかくそれるのを願うだけです。なかには般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱える人もいます。後は、夏の暑さです。収穫のほとんどが8月なので、朝早く行って、午後も収穫する人もいますが、私はそれをしないで、午後からは選り分けて4時までに伊予市の伊予園芸に持って行きました。露地ミカンは、近くの倉庫に集めるのですが、ハウスミカンは個人個人で伊予園芸本所(伊予市米湊(こみなと))へ4時までに持って行くのがルールでした。」

(4)キンカン栽培

 「今、私(Aさん)は、キンカンのハウス栽培をしているのです。なぜキンカンかというと、私は青果連に行っていて、ハウスを2反ずつ、2人に貸していたのです。ハウスミカンは、7月から8月の暑いさかりに収穫しないといけないので、私が年をとって退職してからは、そんな暑い所での作業は耐えられない。しかし、勤めを辞めて何にもしないというのもいかんと考えていました。
 そのようなときに、組合では毎年、『伊予柑むすめ』が販売促進のため、日本橋のデパートを回る仕事がありました。私も一緒に行って挨拶(あいさつ)をしていました。挨拶が終わると時間ができたので、宮崎(みやざき)や鹿児島(かごしま)で有名なキンカンは、どういった人が買っているかなと思って観察したことがありました。私たちは、キンカンといえば子どものころ、風邪を引いたらキンカンを擦(す)って飲まされていたので、そういう感覚でキンカンを買うのかなと思っていたのですが、意外と若い娘さんが買うのです。それを見て私は、キンカンの消費が若い人にあると考えたのです。じいさんやばあさんが買うのではないからです。それでキンカンを始めたのです。
 キンカンの生産が一番多いところが、宮崎県の串間(くしま)農協なのです。平成2年(1990年)に串間へ見学に行き、作り始めてみました。作付面積は7aですが、そこそこの手取りがあります。キンカン収入分をミカンで同じ額取ろうと思っても、ミカン園1町(約10a)でも取れないのが現状です。」


<参考引用文献>
①白石尚寛「史料翻刻『水論一件控』」(大洲史談会「温故復刊29号」 2007)

<その他の参考文献>
・愛媛県『愛媛県史資料編近代2』 1984
・角川書籍『愛媛県地名大辞典』 1991
・双海町『双海町誌』 2005
・伊豫園芸農業協同組合『伊予園芸の現状』 1961
・壷神山観光開発協議会『壷神山地域観光診断報告書』 1975

写真2-2-16 ハウスミカンの栽培

写真2-2-16 ハウスミカンの栽培

伊予市双海町。平成24年1月撮影

写真2-2-17 ハウスの内部

写真2-2-17 ハウスの内部

伊予市双海町。平成24年1月撮影