データベース『えひめの記憶』
身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)
20 えひめの歴史-八幡浜の街並みの変貌-
八幡浜(やわたはま)は幕末から現在まで埋立てによって市街地が形成されてきた。明治4~5年の市街図から、船場(せんば)通り、浜(はま)の町、仲(なか)の町等の地名の由来がわかるように思われる。このころは、本町(ほんまち)通りが町の中心街であった。さらに明治4年 (1871年)より7年にかけて、入り海の部分が、豪商が組織した八幡浜商社によって埋め立てられて新町(しんまち)が生まれ、その後図中の低湿地(一部は元塩田)が埋め立てられていき、明治29年(1896年)に近江屋(おうみや)町、明治35年(1902年)に大黒(だいこく)町ができたのである。
昭和30年代と現在との大きな変化を見ると、特に現在のJR八幡浜駅周辺(江戸岡(えどおか))と国道197号とを結ぶ昭和通りの発展が著しいことに気づく。これは、新町・大黒町のように港=海上交通を中心に発展してきた八幡浜市街が、昭和14年(1939年)の国鉄八幡浜駅開設と、戦後のモータリゼーションの波の中で、陸上交通に中心が移ってきたあらわれといえよう。
一方、旧港・新港が埋め立てられて市役所・商工会館・公園・運動施設等の公共施設が整備されるとともに、魚市場が大きく整備拡充され出島が造成される等、港周辺の大規模な埋立て・再開発が行われたことも目につく。八幡浜は、今も海に向かって発展していく町なのである。