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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅳ-久万高原町-(平成24年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 昭和の町並みとくらし

 久万高原町は平成16年(2004年)に上浮穴(かみうけな)郡久万町(くまちょう)、面河(おもご)村、美川(みかわ)村、柳谷(やなだに)村が合併して誕生した。江戸時代は久万山六千石と呼ばれ、大部分は松山藩領になっていた。久万山には三坂峠を越える土佐道が通じ松山と高知を結ぶ最短距離として利用されてきた。江戸時代まで山村としてのくらしを余儀なくされていたが、明治24年(1981年)に四国新道(旧国道33号)が開通し、久万山の村々は新しい時代をむかえ、その後の交通の発達とともに今日にいたっている。
 本章では、合併前の旧4か町村のうち久万町と柳谷村の役場が置かれていた、久万町(くままち)と落出(おちで)地区の町並みについてまとめるとともに、それぞれ昭和30年ころの町並み図を復元し、当時のくらしの一端を明らかにしようとした。