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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅳ-久万高原町-(平成24年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 三坂峠②

3 国道33号から三坂道路へ

(1)三坂トンネルの構想

 国道33号から三坂道路の建設について、Dさんは次のように話す。

 ア 観光地、三坂峠

 「昭和42年(1967年)に国道33号の改修が完了してから松山へ行く回数も増えました。それから、しばらくすると、みんなが自家用車を持つようになったからです。私(Dさん)たちの年代よりも上の人、現在80歳代の人は、昭和38年の豪雪の時に仕事をすることができないので、教習所へ通って運転免許を取った人がほとんどです。まだ、その当時は車の価格が高くて買うことはできないけど、外で仕事ができないので免許ぐらいは取っておこうかという状態だったのです。
 三坂峠も昭和41年に伊予鉄ドライブインができて、観光地になりました。昭和40年代から昭和50年代は賑(にぎ)やかで、観光バスが必ずそこに止まっていました。今でいう道の駅や高速道路のサービスエリアのような状態です。伊予鉄バスはもちろん他社の観光バスも立ち寄っていました。松山から高知間にはここしか立ち寄れる場所がなかったためです。春の桜や新緑、夏は納涼、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通して楽しめるため、多い年には年間で120万人もの人が三坂峠を訪れていたのです。しかし、その一方で峠付近を走る車が増えたため、カーブでの交通事故や冬季の積雪による渋滞や事故などが多発し、早急な整備を望む声があがるようになりました。」

 イ 国道33号整備促進期成同盟会の結成

 「昭和60年(1985年)に国道33号整備促進期成同盟会が松山から高知間沿線の15市町村が加盟して結成されました。その目的の第一が三坂峠を回避する三坂トンネルを抜こうということでした。理由は峠付近が急カーブの連続で冬になると積雪や凍結区間があり危険であり、夏も連続240mm以上の雨が降れば通行止めになるからです。私はそのころから役場の建設課の職員として三坂道路の建設にたずさわるようになりました。建設省へ年間に10回以上陳情に行っていました。久万町、美川(みかわ)村、面河村、柳谷村というように各町村単位で行ったり、愛媛県側の市町村で行ったり、高知県側の市町村も含めて関係市町村全部で行ったり、さまざまな形で陳情へ行っていました。途中で建設省から『陳情書ではなく要望書を提出しなさい。』と言われたり、陳情の回数も減ったりしましたが、建設課に勤務していた20年間はそのような繰り返しでした。私も最初のころは建設省へ何度も陳情に行きながらも『こんな夢のような計画(構想)が本当に実現するのだろうか。』という思いでいました。」

 ウ 雪が降ることを信じてもらえない

 「陳情に行った最初のころに一番困ったのは、東京の建設省で、『国道33号の三坂峠付近で冬になると雪が降って積雪や凍結で道路が通れなかったり、スリップ事故が多発したりして危険なのです。』と言っても、建設省の職員は『本当に愛媛県でそんなに雪が降るのですか。』と言って、愛媛で雪が降ることを信じてもらえないのです。そこで、久万に帰ってからは、冬に雪が降ると土曜も日曜も関係なく三坂峠へ行って、一日中、峠付近の道路状況の写真を撮るようになりました。ただ道路に雪が降っている写真では信憑性(しんぴょうせい)がないので、『三坂峠標高720m』とある標識が入るように写真を撮ったり、雪道でバスとバスが離合できずに立ち往生している写真や材木を積んでいるトラックが雪道でスリップして側溝に落ちている写真を撮ったりして、写真を見れば、『冬になると本当に危険なのだ。だから峠付近を回避する道が必要なのだ。』ということがわかるようにしたのです。昭和50年(1975年)から60年(1985年)ころまで10年以上撮り続けました。建設省の担当職員も替わるので、替わる度に『国道33号の三坂峠付近で雪が降って、危険なのです。』ということを訴え続けました。」

(2)悲願の三坂道路開通

 平成24年3月17日に久万高原町東明神(ひがしみょうじん)から松山市久谷町に至る総延長7.6kmの三坂道路が開通した。三坂道路は三坂第一トンネル(延長3,097m)と三坂第二トンネル(延長1,300m)の2本のトンネルと9本の橋梁(きょうりょう)によって、三坂峠を回避する自動車専用道路である。
 三坂道路の開通についてDさんは次のように話す。
 「三坂道路の事業化が決定したのは私(Dさん)が退職する前の平成8年でした。着工は平成11年です。退職してから1年後ぐらいに三坂トンネル(第一トンネル)が貫通してそれを見に行ったこともあります。三坂道路は今年(平成24年)の3月17日に開通したのですが、『夢のようなものが完成したな。』という気持ちでした。当時、熱心に運動をしていた人も『わしらが生きている間には、通れないだろうな。』と言う人が多かったのですが、それが現実になったのです。完成した時の祝賀会へも出席したのですが、その当時お世話になった建設省の職員をはじめ、いろいろな方にお会いして喜びを分かち合いました。
 開通して通り始めてからは、松山へ行くような感覚がないのです。三坂道路が開通して町内から松山へ行くのに短縮時間は10分ぐらいなのですが、感覚的にはものすごく近くなったと感じています。三坂トンネルの入口まで行けば、砥部まで下りたような感覚です。私の息子も夕方から『ちょっと松山へ買物に行ってくる。』と言って出かけていますが、そんな感覚なのです。私たちの世代も、買物などで松山へ行く回数が倍ぐらいにはなっています。町内でイベントがあったり紅葉の時期などは観光客が増えています。」
 また、Aさんは次のように話す。
 「三坂道路の開通によって時間的に短縮されたのですが、時には国道33号をゆっくりと走り四季折々の景色の変化も楽しんで欲しいと思います。三坂峠付近では秋の紅葉今春の桜など素晴らしい景色をたくさん見ることができます。」