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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅶ -東温市-(平成26年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 横河原の町並み

 現在の横河原辺りは、明治23年(1890年)ころはまだ、金毘羅(こんぴら)街道筋に沿う14戸の寒村で、石鎚(いしづち)登山客が重信川の洪水で川止めになったときに宿泊する程度の小集落であった。しかし、明治32年(1899年)に、伊予鉄道が平井河原(ひらいかわら)駅(明治35年より平井駅に改称)から横河原まで延長されたことに伴い、ほかの地域から移住してくる者が多くなり、人口が増加して、集落は急速に発展した。
 この地域は、かつて横川(よこかわ)や二本松(にほんまつ)と呼ばれ、金毘羅街道より北の樋口(ひのくち)と、南の志津川(しつかわ)に分かれ、昭和35年(1960年)に樋口、志津川から分離して横河原区が設置され、正式な大字名となった。
 横河原は、伊予鉄道横河原線や、旧国道11号(現県道334号)などが通り、東温市域の陸上交通の要衝として発展し、沿線の集落の発展に影響を与えた商業集落である。
 横河原の町並みとくらしについて、Aさん(大正15年生まれ)、Bさん(昭和5年生まれ)、Cさん(昭和8年生まれ)、Dさん(昭和15年生まれ)、Eさん(昭和19年生まれ)から話を聞いた。


図表1-1-2 昭和30年ころの横河原の町並み1

図表1-1-2 昭和30年ころの横河原の町並み1

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-2 昭和30年ころの横河原の町並み2

図表1-1-2 昭和30年ころの横河原の町並み2

調査協力者からの聞き取りにより作成。