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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅸ -砥部町-(平成27年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 千里口・上尾峠間街道探索記

 ある日、図書館で『砥部の歴史文化』という冊子を見つけた。第三号の「銅山諸記録」の末尾に、千里口より上尾峠に至る旧街道の記事があり、美しい滝と見事な石仏があるという。思い立って4月末に出かけてみた。
 千里口に着いたものの、街道への取り付きがわからず、うろうろする。たまたま、年配のご婦人が3、4人おられたので道を尋ねたのだが、どなたもご存じない。昭和40年(1965年)ころまで使われていたとあったが、用のない人、興味のない人は気にも留めないだろう。私自身、この道の存在は知っていたが、訪れてみようとはしなかった。
 とりあえず二ツ木への道を進み、草取り作業をしておられた方に再度お尋ねする。先にあるカーブを過ぎた辺りに、広田中学校が建てた標識があるとのこと。少年の日に、この街道を通って道後温泉まで歩くという行事をしていたそうだ。平成21年(2009年)まで数年間行われたそうだが、中学校の統合とともにそれも途絶え、歩く人もまれな道となったようだ。
 件の標識はまだしっかりと立っていた。「よし。」と踏み込んだ道は、かなり草が茂っているが、ヒトかケモノかわずかに踏み跡がうかがえる。シャガの花が咲き誇っていて、うれしくなる。途中の岩陰に風化した石仏があった。
 やがて、丸木橋のかかった沢に出た。この橋が朽ちれば、千里口側から滝への通行は難しくなる。次の付け替えはあるのだろうか。
 沢沿いの道は勾配がきつくなり、国道から不法投棄されたゴミが目につくようになった。
 「おお、あれが鳴滝(ナルタキ)だ。」と、まずは第一目標発見。この辺りは小さな棚田だったのか、少し藪漕ぎをすれば、いくつかの高さから滝を望むことができる。
 節理の入った岩肌に二筋の水が飛沫を上げる。大きくはないが、趣のある滝だ。振り向くと、道の向かいの山肌に何かある。それが、牛馬童子の石仏だった。
 端正に彫りこまれた石の祠に、愛らしい童子が牛と馬を連れている姿が納められている。像の下には牛馬童子の文字。この童子は、牛や馬の守り神なのか、ここで亡くなって祀られたのか。祠の上にも、お墓らしい石と石仏があった。
 滝の上場に出てみると、この辺りは丁寧に石を積んでしっかりした道を造っていることがよく分かる。コンクリートで舗装もしている。長い間、広田と砥部を結ぶ唯一の道だったということが実感できる。ゴミを捨てる人は、こんな道があるとは想像したこともないだろう。
 国道を車が走る音が近い。時折、ガードレールを目にする。その先の岩陰にも石仏が一体、昔の人の祈りが残っている。鉄製の梯子が現れた地点で、この日の探索を終えた。
 それにしても、『砥部の歴史文化』はなかなか面白いな、とさらに探すと、第二号に「川登探訪」の記事を見つけた。旧街道の上尾峠あたりに、庚申塔の青面金剛像があるという。この本、写真や地図があまり使われていないのが難点だが、かえって自分で確かめないと、という気にはなる。
 そのような訳で、5月初めに上尾峠を訪れた。第一隧道を出た地点に駐車。旧街道にさしかかると、とたんにゴミが捨てられている。本の記載だけでは分かりにくかったが、広田中学校が建てた標識が目に入り、ふと見上げた斜面の中腹に石仏らしきものを認めた。「マムシがいたらどうしよう。」と思いつつ、ゴミが散乱する斜面に突入する。
 「これだ。」青面金剛は憤怒の形相をした像だというが、お澄ましした子供の姿にしか見えない。これだけゴミだらけにされているのだから、もっと怒ってもよさそうなものだが。
 自分も含めて、「しようのない人間ばかりでごめんね。」と手を合わせ、無事、元の道に戻る。足元がすっきりとしてほっとする。少なくとも、虫やら蛇やらが苦手なら、こういう所の探索は冬場に限る。ということで、残念ながらこの街道の全線は未踏査である。
 「手入れされた道なら、この時期も良いものなのに。」と、エビネが咲いていた。