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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

8 始動する新行政

 先端技術導入・新産業振興

先端産業は生産関連部門のハイテク化のみならず、研究開発部門においてもその性格上重視され、昭和五〇年代末期から本県にもこの部門の進出が目立った。通信技術メカトロニクスなどを扱う四国電力電子技術研究所が、五八年松山市に開所された。情報ソフトウェアの開発設計部門では、四国日本電気ソフトウェアが五九年トップを切って松山市に設置、続いて富士通愛媛情報ツステムが六〇年、四国システム開発が六二年と松山市に開設、また、日立系NBC今治システムズは今治市に五九年立地が決定した。情報処理産業用のコンピューター及び通信技術の高度化の複合、情報サービス市場の拡大テンポは予想を超えて進み、高度情報化社会の先ぶれともいえるソフトウエア業の展開となった。
 また、本県の素材型重化学工業は鋭意ファイン化・加工化学化へ脱皮中であり、集積回路、新素材、ファインケミカル、バイオ産業の数々が次々と姿をあらわした。機電一体化(メカトロニクス化)によるエレクトロニクス産業の拡大、遺伝子組み替え・細胞融合・組織培養の三本柱からなるバイオ産業の生み出す医薬品やパルプ製法の革新など、無限ともいえる可能性から農産加工の多い本県の応用裾野は広い。新素材のファインセラミック(IC、センサーなどの部品)交通機器用金属材料、高分子材料(汎用樹脂の高度化)、複合材料などの母胎となる住友化学はさらにガリウム、光ディスクなどの新分野にも参入した。東レ愛媛の炭素繊維生産は世界最大規模を誇り、帝人松山は鉄より強いアラミド繊維の生産に六二年から掛かり、長浜の昭電系セザス・ジャポン社のジルコニウム合金は六三年の予定で、本県の新素材産業分野の潜在力は大きい。
 従来大企業に密着して地場の中小企業群が育ってきたが、この新素材の川下地場産業群として自動車部品、医用材料、新都市システムなどの機械産業及び住宅産業などが新分野といわれる。旧来の地域産業は生き残りを
賭けて高度活性化に必死である。製紙から発展した衛生紙綿ユニチャーム、マイコン付小型内燃機の三浦工業、パックで市場を制した削り節のマルトモなど、県下には新分野パイオニヤのモデルがあり、西条臨海団地でIC製造の三菱電機は時代の先端を切る臨空型企業のはしりである。五九年ベンチュアビジネス(研究開発型中小企業)の育成や人材養成が始動し、銀行筋の協力も得ている。同年地域フロンティア技術開発事業を県が実施し、工業技術センターを中心に産学協同で最新設備を駆使する研究がすすめられ、全国レベルの技術交流拠点テクノマート愛媛支部も発足した。
 一・五次産業は地域の農林水産資源、あるいは未利用資源から産出される特産品を活用するもので、本来的に生産者の近くで行われる第一次産品の加工であり、農林水産業色が強く「むらおこし」の産業版といえる。県では市町村の積極的取り組みの呼び水として、五九年一・五次産業ゼミナールを開催し、柳谷、松野、城川の三町村で試作研究、市場調査などを進めるとともに、観光産業との結び付きも検討、さらに過疎地域商工会の行う「むらおこし」の支援、真珠貝利用技術の研究開発などきめ細かい関連事業の推進を図った。また「ふるさと名物育成推進事業」や「産地特産銘柄育成振興事業」など観光やふるさと志向のみならず、嗜好の多様化時代にも合わせた特産地域の形成にも取り組んでいる。

 婦人対策の五大柱

 戦後の女権伸張とともに婦人団体の組織化は、軍政部の指導もあり目ざましかった。職域では昭和二六年結成の農協婦人部(初代委員長、神野ヒサコ)ぱ会員七万人といわれ、三〇年結成の漁協婦人部(五七年会員七、三〇〇人)が後を追い、生活更生方面では、二六年県婦人更生連合会のち母子(寡婦)福祉連合会(初代会長梅岡冨榮)などが有力団体であった。これより先、昭和二三年に一般婦人の自主的民主的団体として県連合婦人会(初代会長則内ウラ)は結成され、会員四万五、〇〇〇人を擁する最大級の一般婦人団体であった。県連合婦人会はいわゆる地域婦人会として、戦前の婦人会の系譜を継ぐと見られる有力組織体となった。
 主な活動は、昭和三〇年代の食生活改善、新生活運動に始まったが、経済成長期に家庭づくりや花いっぱい運動など婦人らしい後衛役に回り、三九年には松山市に県婦人会館の完成を見た。また、核家族化さなかの乳幼児、老人問題から石油ショック後の消費者運動など時代に即しつつ県政に前向きに順応し、常に協力的なボランティア或いは社会悪のお目付役として有為な活動を続けてきた。今日、九万人余の大組織で、長期の会長として松本久子(今治市)があげられるが現在、日野豊(西条市)が会長として活動している。
 第四次白石県政を迎え、「婦人の地位の向上と社会参加」が県政の主要課題となり、五八年愛媛の婦人対策基本指針に基づき愛媛婦人対策推進会議で施策を具体化した。すなわち「社会参加の促進」「家庭生活の安定と福祉の充実」「健康と母性の保護」「生涯教育の推進」「雇用の促進と労働条件の整備」を婦人対策の五大柱とした。翌五九年県では婦人諸団体運動の総合調整窓口として婦人福祉課が誕生し、本庁初の女性課長として永井ユリエが就任した。
 婦人問題が今日化したのはまず婦人のライフサイクルの激変である。昭和一五年と五五年を比べ、育児離れは四二歳から三六歳へと若返り、育児期間は二二年から一〇年と半減し、その後の人生は、実に七年から六倍余の四三年と全人生の半ばを超えるに至った。加えて教育水準の向上と電化による家事労働軽減は、婦人のライフサイクルを大きく変え、就労や社会参加などに自由時間の活用が必然化したが、このかじ取りが未来社会を動かす鍵となった。
 一方、家庭機能の弱体化した今日、温かい家庭づくりには家事・育児・介護など婦人の役割はますます重要度を加えるが、深刻化する高齢化社会で介護役に回る婦人の過重負担を和らげるよう家庭・地域・施設のシステムづくりが当面の課題である。一方、高齢孤独の婦人の長い余生に対する文化・参加活動の生きがい対策、農山漁村婦人の肩にかかる内外の過重労働改善、核家族母性の母子保健面のケア、全雇用者の四割という婦人のパート雇用問題、反面自立志向で職業に生きる婦人の急増など社会の変化に即した婦人問題への真剣な取り組みはむしろ今後にある。
 白石県政後期婦人をめぐる諸問題の将来をさぐる拠点ともなり、二一世紀を展望するえひめ婦人の顔とも誇る「婦人総合センター」が松山市山越町に六二年完成した。鉄筋四階建四、五〇〇平方メートル、建設費一三億五、〇〇〇万円余、県生活センター、婦人職業センターなど身じかな施設を組み込み、多目的ホール・ニューメディアルーム・視聴覚室など情報、研修、展示、交流など多目的用途の新鋭機器の充実
に加えて、婦人の城にふさわしい優雅華麗なインテリアの粋もこらしたデラックスな殿堂である。

 コンベンションと文化の時代

地方としては超デラックスな外観内容を誇る県民文化会館の完成は、これを核とした新たなコンベンション時代への挑戦でもある。コンベンションとは、人を中心とした物・知識・情報などの交流集会を指し、広く地域外からの参加を旨とする目的を持つ集団のかなり大型集会であること、従って都市型を源流とし東京は別格として神戸、京都などに成熟相がある。本来慢然型大衆型を主とする観光とコンベンションは一線を画する業態であるが、地方タイプはどうしても行きつくところ複合型のコンベンション・観光政策という形になる。これは地域開発の手法として波及効果や浸透度が大きく、経済効果のみならず文化、環境、福祉と幅広い複合効果が期待されている。
 五六年の神戸博ポートピア八一では、関連消費誘発効果は一兆円近くと試算されている。本県の場合、明らかに観光道後と一体化のメリットを狙う地方型複合型である。一般に業態として成熟化し活性化しつっあるサービス的第三次産業の内発的開発の一環としてとらえられていて、第二次産業の低迷する地方としては活路打開の一策として注目されている。
 コンベンションは容れ物としての会場を中心に、ぼう大な関連産業を抱える。会場運営に直結する通訳、翻訳、印刷出版、広告及び展示装飾、機器などのレンタル、電気・配管、内外装工事から土産物まで多種サービスがあり、宿泊飲食から遊興施設、輸送及び観光サービス、通信金融報道などにまで至る。本県の場合、道路や駐車場、都市ホテル、高級飲食施設など基礎的整備が急がれるが、一面都市型には到底追いつけない地方のかべも予想される。
 県は会場本体のハード面を主に担当し、ソフト面は六〇年設けられた松山コンベンション誘致協議会(会長永野伊予鉄社長)のほか業界・学界と連係協力に努めている。県民文化会館開設以来、六一年度の全国及び四国大会は三九件、約七万六、〇〇〇人を集め全体で一〇万人を越える入場となった。道後温泉旅館宿泊者も約九七万人と前年比一四%増を示し、温泉ブームも手伝ったとはいえ、この会館の貢献度も明らかである。地方型コンベンション都市の歩みは平坦とはいえまいが、新時代の日進月歩の先を読んだ貴重な布石である。
 昭和四九年の「文化社会政策」は県政に文化の時代を予兆したが、五〇年代後半文化行政は旧来の社会教育行政の枠を超えて活発化し、五六年には県教育委員会に文化課が発展、移行した文化振興局(のち知事部局の生活文化局)の設置及び官民協力の文化振興財団の創設という注目すべき動きがあり、五七年には産地文化振興計画も策定された。さらに五八年には生活文化振興会議(五四年設立)で「行政の文化化」、五九年には「うるおいのある町づくり」がテーマとなり、いずれも行政に文化の装いを付けることが目指された。具体的な事業では、五七年県立美術館分館敷地内に予規・漱石ゆかりの愚陀佛庵を復元、また新設公共施設の修景化デザイン化の例として、総合福祉センターや南レク都市「南楽園」庭園管理棟などに建策デザイン上の配慮が払われた。四八年からの「文化の里」事業もこの一環であり、「町づくり・村おこし」も町村の根っこから掘り起こす生活文化運動であり、「文化の時代」に呼応している。
 県民文化会館はさらに高次元の国際交流まで広げた文化振興の核として次の文化の時代を準備する母胎となった。

 町づくり・村おこし

日本の町や村は、つい最近まで画一・同質的で個性がなくなったといわれた。近代化・都市化は平準的に地域の所得、生活の向上にプラスはしたが、一面失うところも大きく、個性的な生活文化が急激に色あせてきたところに今日の課題がある。村おこし運動は、とうとうたる経済至上・中央文化依存の風潮に逆らって創始十数年、当初は体制への問いかけ色の強いカウンターカルチュアを根性とし、一方巨大な都市・企業文化の影に絶えず埋没しそうになりながら、ともかくも「生活文化ルネッサンス」の声があがるまでに成長した。町づくり・村おこしとは、その地域にふさわしい暮し方を具体的に創り出すことであり、これこそ生活文化の創造であって、一篇のドラマの演出にも相通じる面白さは、次代を担う市町村の青壮年の血を湧かせるものがある。
地域を売り込む戦略を、企業経営手法さながらCI(コーポレート・アイデンティティ)と呼ぶ。かつて北海道池田町がワイン製造に乗り出した時、自治体の酒造業免許に大蔵省は難色を示し、人々も役所のはみ出しにあきれた。しかし今日では、役場が特産品のセールスマンとなり、商社的活動に励んでも怪しまない。最近流行のイベントは、新しい物の見方や考え方を触発する出来事、すなわち「事起こし」の意味であり、旧態依然の地域にショックを与える起爆剤的効果は無視できないものがある。本県でも町村のイベント情報誌「BOX」は県の監修下に発行され、事起こし情報はくまなく県下を走っている。全国無名の過疎町村から起こった潮流に本県も影響され、県では六一年「県まちづくり総合センター」(県市町村五億円基金)を松山市に開設して、情報・研修・交流などの拠点が確立された。
県内の活発化しつつある町づくり、村おこしをその活用資源別に分けて例示して見ると次の通りである。
① 自然を活用した例では、西条市の親水都市=アクアトピア計画(六〇年建設省指定)があり、観音水~陣屋跡堀に至る二・四キロメートルをシンボルゾーンとして噴水、植栽など公園的整備を図っている。上浮穴郡久万町は自然林休養村(四七年指定)事業に加え、五五年に運輸省から久万高原ふるさと旅行村の指定を受け、主に青少年向けキャンプなど休養リゾートゾーンに力点を置き高原産物の売りこみにも熱心である。
② 喜多郡内子町では文化庁指定の重要伝統的建物群保存地域の八日市・護国の町並み、六〇年復元の内子座などが歴史的環境を形成、町の産業、文化と組合せた「まちづくり観光地」を志向している。
③ 北宇和郡松野町は桃の木オーナー制度を設けてオーナーが桃狩りを行っており、また、越智郡岩城村は「青いレモンの島」と銘打ち特産品と町外との結合を重点的に制度化し、県果樹試験場岩城分場の開発したユーレカ系レモンを一・五次産業の戦略物資として位置づけるなど、特産物を活かした例である。
④ 祭り・イベントでは青年会議所推進の「四国かわのえ・紙まつり」は、川之江市の祭行事を越えて町づくりや産業活性化に一〇年の歴史を刻んできた。大洲市の「ボルドー村構想」は、農業振興と市民のリゾートゾーンの一石二鳥を期待する市民構想であり、五十崎町の「小田川の自然景観、生態系を守ろう」運動は「小田川シンポ」の開催、「石一個提供運動」に展開し、また、「凧博物館」の建設も行われている。

 人・地域づくりと広がり

迫る長寿社会、婦人の社会進出、福祉・保健医療の強化、ふれあい相互学習の交流、生涯教育の推進など、県民生活の全容を貫く太い絆は、家庭とコミュニティである。県は、毎月第三日曜日を温かい家庭づくりの「家庭の日」と定め、父親の育児、教育への参加をすすめ、ふるさとづくりファミリーキャンプも開いている。また毎月一〇日を「県民健康の日」と定め、家族を含めて自らの健康は自らが守る健康づくりを職場地域をあげて推進し、特に農村婦人の食生活指導を中心に婦人の健康づくりに力を入れている。
 こどもに対しては、天体観測など「少年自然の家」の活用のほか、交流や奉仕の面では一般児童と障害児の間で、あるいは異地域間での行事や奉仕を通じた教育交流、退職教員の協力による郷土研究や花作りなど校外グループの育成に努めた。また、「はばたけ三歳」てがみ通信、えひめ子育て教室、伊予っ子広場など幼児教育の推進にも努めた。さらに、子供会のリーダー養成を図る外、、小学校での郷土愛や協調連帯感を養う教育の推進、悩む青少年向けのホットラインによる電話相談の常設、高校での自然と伝統に根ざす特色ある学校づくりなどの諸施策が家庭やコミュニティを包んで展開された。人づくり・地域づくりは今や在来の教育や地域の枠を越え、組織を脱して広がりつつある。
 本県では、「家庭生活の充実」は地域主義県政の大黒柱であり、人づくりの基本であるとの考えから、家庭を愛しふるさとを大切にする心を育て、「三世代同居」の理想的な家庭づくりを住宅対策も含めて積極的に進めた。三世代同居優良家族の顕彰「えひめ家族賞」の制定はその端的な現れである。いうまでもなく家庭は幼児のしつけをはじめ、青少年の健全育成、老人や障害者などの介護、明日へのエネルギー培養など、多機能で底知れぬ地域福祉の担い手である。これを無秩序に分解し弱体化しようとする、悪しき近代化のマイナス的な力を是正しようと果敢に対峙したのが白石県政といえよう。
 家庭の持つ相互扶助や、連帯意識が地域に拡大したのがコミュニティであるとも考えられ、そのもたらす人間性の回復や自治意識の醸成は、新時代の即戦力としてかけがえなく重要である。そしてこれを現実に動かす新しい担い手はボランティアである。今日の社会は古い相互扶助や連帯の担い手を失った代わりに、未知の婦人青年など新しい担い手要員を潜在的に用意しており、社会参加の呼びかけや組織化が行政の重要な役目として登場するに至った。