データベース『えひめの記憶』
伊予市誌
三、風習
還暦その他
男子は四一歳・六一歳・八八歳、女子は三三歳・六一歳・八八歳には厄払いの祈祷をしたり、長寿を祝って親戚・知人を呼んで祝宴を盛大にしたが、近年になってだんだん少なくなった。
家を新築したときも、昔とちがって手伝いにくる範囲、お客に呼ぶ範囲、宴会の日数などが簡易になってきている。
結婚
婚約が整うと、結納として婿方から、人足にすみかごをかつがせて、嫁の家へ仲人をたてる。仲人は、すみかごから目録とともに、小袖(浅黄ちりめん紋付、はっかけも縫うてある)・酒樽一荷・鮮鯛一折・茶二包み・末広一対をうやうやしく差し出す。先方では祝杯を出し近い親類と一緒に歓び合う、このとき人足には祝儀をつかわした。現在は仲人が、目録写しと結納金をわたし、簡略に済ましている。
結婚式の当日には、先に花嫁の方から届けられた嫁入り道具を部屋に飾って、近所の人や親類・縁者のものに見てもらうのである。
次に灘町宮内家から嫁入り道具を送ったときの記録があったので、これを掲げてみる。
一 十一月七日、荷物を送る。人足二五人、宰領は上吾川常吉
書付け覚え
一 たんす 二棹 袋棚一方へつけ・ふたんかけ
一 長持ち 一棹
一 櫃 一棹 ふたん
一 小袖櫃 二棹 ふたん
一 しまいだんす 一棹
一 たらい提げ
一 箱 二
以上
この荷物には定紋入りの大ぶろしきがかけられて、人足にかつがれて来るのであるから、大行列であった。その後から花嫁行列が続いてきた。花嫁が着くのは、たいてい夜の八時過ぎで、昔は婿殿の家の門前には、かがり火があかあかとたかれていた。明治時代になってろうそくが普及して、かがり火にかわって、定紋入りの大ちょうちんが出された。
知人・縁者・近隣の人からは、花嫁の方には次のようなものが餞別として送られた。
紫ちりめん帛紗・緋ちりめん打込六尺・箸指・桃ちりめん・板じめ帛紗・秩父・うっ金ちりめん帛紗・小鯛とえび・おしろい一箱・じゅばん(総ちりめん)・表付塗堂島(はきもの)・表付塗さしげた(はきもの)・金巾踏皮・襟・火のし・黒塗駒げた・金巾たび・紋羽たび・小袖・米沢縞綿入れ・江戸袖帯などであった。
ところが今では、日常生活に必要な物品を花嫁の方で整え持参するようになった。餞別も品物が少なく金銭ですますことが多くなってきた。
結婚の祝宴も、昔は三日三晩も続いていたものが、最近はわずか二時間位で終わるというスピード化しかものとなっている。その代わりに、昔は全くなかった新婚旅行は、最近の結婚には必ずどこかへ出かけるよう計画されている。
結婚式の翌日は、花嫁を姑がつれて近所の家へあいさつ回りをするのであった。これは今も行われているところが多いようである。
次に婿入りとか、嫁の里帰りとかいうことも行われていたが、これはだんだん省略されてきたようである。このときには、両親へいろいろの贈り物をすることになっていた。両親だけでなく、兄弟・姉妹・雇い人にまで土産物を贈った。