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久万町誌

2 お久万大師と久万町

 昔、松山から高知に行く街道筋に、寂しい一つの村落がありました。
そして、そこにとても気立てのやさしいおくまという名前の娘がおりました。
 ある日のこと、このおくまの家にひとりの遍路さんが来て、お経を唱えて物を乞いましたので、おくまは熱心に機を織っていた手を休め、台所から麦をお皿にすくって出し、お遍路さんに与えました。
 そして、また機を織っていると、前に来たお遍路さんが、チリン、チリン、チリンと鈴をならしていますので、おくまは機をおりて一皿の麦を与えようとしました。すると、お遍路さんは、
「もう麦はたくさんもらったからいりません。今お前さんが織っているかすりの織り布を一尺五寸ぐらいもらいたいのです」
といいました。するとおくまはいやな顔もせず、
「ハイ、ハイ」といってすぐにハサミで切って与えました。お遍路さん
はたいへん喜んで、
「お前さんはほんとうに気立てのよい子じゃ、何か望みがあったらなんでも一つだけかなえてあげよう」
といいました。
 するとおくまは、
「ごらんのようにここはさびしい村じゃが、ここを町にしてください」
と頼みました。するとお遍路さんは、
「よろしい。もう二、三年したらきっとりっぱな町にしてあげよう」
といって立ち去りました。
 それから二、三年して立派な町ができました。その町が今の久万町で、上浮穴郡の中心として栄えています。また、そのときのお遍路さんは弘法大師様だったということです。弘法大師は、おくまという娘の名前をとって、久万町と名付けたのだと言い伝えられています。
 おくまをたたえる記念として、現在久万町立久万中学校前にお久万大師堂が建立されています。