俳人。宇和郡八日市(現、四国中央市土居町)を中心に活動した人。寛文6年の『俳諧洗濯物』に句が収められており、翌年の『続山井』、『伊勢踊』にも句が収められている。談林派の岡西惟中(おかにしいちゅう)とも交渉があり、惟仲編『闍医会三部抄』にも句が収められている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)