データベース『えひめの記憶』
松山市
日下伯巖(1785~1866)
明教館教授。松山城下(現、松山市)出身。名は梁(りょう)。号は陶渓、字は伯巖。藩命により昌平黌(しょうへいこう)に入学し、朱子学を修得した後、松山に帰り、藩主・松平定通に仕えた。松山藩の藩校である明教館の開設により、教授として長く藩士の子弟教育に従事し、その門から矢野玄道(やのはるみち)や大原観山(おおはらかんざん)らを輩出した。また、詩文に秀で、書道も巧みであった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【国津比古命神社の注連石】
左:千早振 神の五十鈴の加わら須も 免くる月日能 影のさやけさ
(ちはやふる かみのいすずのかわらずも めぐるつきひの かげのさやけさ)
裏面には「嘉永七甲寅年」と刻まれている
右:う禮し具毛 松の梢尓立寄天 久しく爰に 民を守ら舞
(うれしくも まつのこずえにたちよりて ひさしくここに たみを まもらむ)
裏面には「八月吉日建立」と刻まれている。