データベース『えひめの記憶』
伊予市
陶 惟貞(1799~1873)
子弟の教育に専念した漢学者。
陶惟貞は1799(寛政11)年8月28日灘町に生まれた。幼時からそう明で学を好み書を良くした。
初め同町の宮内柳庵について学んだが、やがて京に上り儒者貫名海屋のもとで学問に励んだ。その後、安芸広島に遊歴。医術を習得して帰郷し郡中で開業した。
医師として人々の治療に当たっていたが、中年に至り医業を廃して教育者に転じ寺子屋を開いて郷党の子弟の教育に専念した。
その後、人々を訓育すること50年の長きにわたり多くの人材を育成して世に送った。質素・勤倹、ただ人材の養成を自分の一生の仕事とした。この間、その教えを受ける者が2,000人に及んだと言われた。また、詩作にすぐれ書を良くした。それは風雅の趣があり、一種の風格がそなわっていた。
学制令発令に伴い寺子屋を廃した。翌1873(明治6)年9月18日75歳で没した。墓は栄養寺にある。実名は観、字は惟貞、幼名儀三郎と言い別号に半窓、放斎砂山、聴雨などがある。1898(明冶31)年3月、その遺徳をたたえ地方教育後進奨励のため有志の手によって万安港(現伊予港)の西南、亀が森に碑を立てた。(『伊豫市誌』より)