データベース『えひめの記憶』
宇和島市
伊藤大輔(1898~1981)
映画監督。北宇和郡宇和島町(現、宇和島市)出身。松山中学校(現、県立松山東高等学校)に在学中、後に映画監督となった伊丹万作や、俳人となった中村草田男らと回覧雑誌『楽天』を作り、交流を深めた。松山中学校を卒業後、師と仰いで教えを受けていた劇作家の小山内薫を頼って上京し、伊丹万作と共同生活を送り、松竹キネマや帝国キネマで数多くのシナリオを執筆した。
大正13(1924)年、国木田独歩原作の「酒中日記」で映画監督としてデビュー。昭和2(1927)年、「忠次旅日記」(大河内傳次郎主演)三部作を発表し、一躍映画界を代表する存在となった。大輔は自らの作品で、激しい乱闘シーンや、アメリカやドイツなど外国映画の影響を受けた斬新で大胆なカメラワークを取り入れ、注目を集めた。日本映画草創期にあって、チャンバラ活動写真と呼ばれた時代劇に映画独自の表現方法を取り入れ、また作品に骨格となるべき思想やテーマを盛り込み、「時代劇映画」の確立に大きな役割を果たした。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
伊藤大輔墓所:蓮華寺(京都府京都市右京区御室大内)
※ 墓前の碑には、「熟眼熟手」と刻まれている(自筆)