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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(6)省力化施設をめぐって父と子の言い分

 農作業で一番問題となりがちな農薬散布の省力化施設については、父と子の意見が分かれた。**さんが経営を委任された昭和63年当時には、**さんの柑橘園面積は、およそ3haに達していたのである。この面積の薬剤散布には、これまでの動力噴霧器に頼った作業では、1回当たり、3日間を要する。しかも6月から9月にかけての暑い季節の防除が多いため、カッパを着ての作業には、大変な疲労を伴うのである。これをスプリンクラーの施設を取り付けて、自動化したいというのが、先進地視察から学びとった息子の言い分である。父親は、この計画には異論はなかったが、「設置の時期については、2年先に延ばしたらどうだ。これまで、農道などの基盤整備に投じた借入金が、2年後には少なくなるのでそれに合わせて行えば無理をしなくて済む。」との考えを述べた。労働の合理化が先か、経済の安定を選ぶべきか、その言い分にはそれぞれ一理ある。そこで息子は、「経費のほうは、利子の安い農業後継者資金を利用して、早期着工に踏み切り、少しでも早くみんなに楽をさせたい。」と積極的であった。そしてここは、父が一歩譲って息子の願いを聞き入れ、まず1.2haのミカン園に、スプリンクラーによる防除施設を取り付けたのである(写真3-1-16参照)。
 結果は極めて良好で、これまで3日間かかっていた防除作業が半日で片付き、苦労の種であった薬剤散布の手間を大幅に省くことができた。防除施設が取り付けられてから1年を経過したころ、今度は父親から「金の準備ができ次第、残りの分も早く施設化を図りたい。」と乗り気発言があった。
 **さんは、施設や機械の作業技術には、きわめて関心が強い。かつて若いころ、大工の棟梁をしていた父親譲りの血が、工作に対する興味を呼び起こしたのかもしれない。防除施設の工事に際しても、2週間くらいは業者に付ききりで作業を手伝い、その間に組み立ての要領を覚えてしまった。そして2年後には、今度は自分で設計・施行して1haのスプリンクラー防除施設を作りあげ、その経費は、業者委託の70%くらいでまかなえたという。

写真3-1-16 スプリンクラー防除

写真3-1-16 スプリンクラー防除

平成3年10月撮影