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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(1)能島村上水軍の根拠地であった宮窪漁民

 宮窪町は、昔伊予国越智郡橘郷に属していたが、江戸時代は今治藩領であった。明治維新前は、戸代(とだい)・鵜島(うしま)・宮窪・友浦の4か村であったが、明治に入り、戸代・鵜島・宮窪が統合され宮窪村となり、友浦が友浦村となった。明治22年の町村制施行で宮窪村と友浦村が合併し宮窪村となり、昭和27年8月1日に宮窪町になった。昭和29年3月31日町村合併促進法に基づき、大山村のうち福田・泊・日浦が吉海町へ、早川、余所国が宮窪町に合併し現在に至っている。
 宮窪町は石とミカンと魚の町と言われるが、魚の町と言われるゆえんは、漁業の盛んな浜と友浦があるからである。宮窪町の中にあって、浜と友浦では漁村の形態、漁業の経営形態に著しい違いがある。明治44年(1911年)の『友浦小学校郷土誌(㉔)』に「宮窪本村は専ら釣り漁のみ。10数年前より配縄(はえなわ)漁をなす者あり。又僅かなれど朝鮮へ出漁をなす者あり。大字友浦は専ら網漁なり。」と記されている。
 浜は一本釣り、延縄を中心として発達した漁村で、漁民はほとんど農地を持たず、漁業1本で海に生きる純漁村を形成している。    
 友浦について『宮の窪地誌(㉕)』の中に、友浦庄屋記録として「私先祖元和元年(1615年)鯛網をはじめ網代歩取りの儀夫より代々仰せ付けられ候庄屋役相勤め候」とあるように、友浦は網漁業を中心に発達してきた。島民は網漁業の曳子として漁業に携わるかたわら、農地を所有し農耕にも従事する半農半漁村である。
 その後、浜漁村にも網漁業が導入されてくるが、それは家族労働でも操業できる、エビこぎ網、吾智(ごち)網、モツレ網(建て網)などの、規模の小さい網漁業である。友浦のような多くの労働力と協業を必要とするタイ縛り網やイワシ網とは異なっている。また浜漁村は瀬戸内海地域の漁民の系統としては、県内では魚島や伊予郡松前の浜漁民、広島の能地や吉和などの古い起源を持つ海人の系統に属すると考えられる、古い漁業伝承や民俗を持つ漁村である。
 集落は港に面して密集し、漁村集落の背後に町役場や小・中学校などの公共施設が立地し、山側に農業集落が分布している。浜は自治組織として、第1常会から第16常会が置かれ(第17常会が友浦で漁協組合員23人)、第1常会から第16常会の漁協組合員は460人(昭和64年1月1日現在、宮窪漁協資料)である。
 宮窪の漁業は経営体数248経営体、漁業世帯員数1,183人、漁業就業者数500人、漁船隻数321隻は燧灘、斎灘、伊予灘の島々で第1位を維持し、瀬戸内海漁業の一大拠点である(㉑)。
 浜漁業の中心であった一本釣り、はえ縄漁業から、第2次世界大戦後の漁業の中心は、小型底引き網漁業83経営体、刺し網74経営体、その他の漁業潜水器81経営体(表3-2-9、表3-2-10)と漁業形態が大きくさま変わりしていることが分かる。
 宮窪漁港は昭和27年度第1次漁港整備事業から、現在の第8次漁港整備事業によって、321隻の漁船を収容できる漁港に生まれ変わった。従来は砂浜であったため漁船を係留することができず、台風時には集落の間の道路に船を引き上げねばならなかった。漁港の整備事業による防波堤の築造は、漁船の係留や停泊を可能にしたのみならず、出港・帰港の能率化を促進した。
 宮窪といえば、三島村上水軍(能島、因島、来島)の一つ能島村上水軍の根拠地として知られている。能島は周囲720m、面積15,043m²の小島であるが、位置的に瀬戸内海を上下する重要な航路にあり、ここを根拠地として瀬戸内海の海上権を掌握していた。
 中世末期の16世紀後半から、歴史上はなばなしく活躍した村上水軍も、豊臣秀吉が天正16年(1588年)に布告した海賊禁止令、慶長5年(1600年)の、加藤嘉明の居城松前城攻撃における、能島村上元吉敗死、翌慶長6年(1601年)元吉の父村上武吉、周防大島へ移住、慶長9年(1604年)武吉、周防大島での死没によって、ここに能島村上水軍は歴史上から姿を消した(㉖)。とは言え、村上水軍の水夫として働いた宮窪漁民の中には、能島村上水軍の積極的で進取の気性と、海をしたたかに生きる根性の血が脈々として受け継がれている。そのことが、宮窪を瀬戸内海における漁業の一大拠点につくりあげていった力であると考える。

表3-2-9 宮窪漁協の海面漁業・海面養殖業の経営体数・漁獲量・生産額

表3-2-9 宮窪漁協の海面漁業・海面養殖業の経営体数・漁獲量・生産額

平成2年組合地域別結果表、宮窪漁協資料より作成。

表3-2-10 宮窪漁協の海面漁業・海面養殖業の魚種別漁獲量・生産額

表3-2-10 宮窪漁協の海面漁業・海面養殖業の魚種別漁獲量・生産額

平成2年組合地域別結果表宮窪漁協資料より作成。

写真3-2-10 宮窪港と集落

写真3-2-10 宮窪港と集落

カレイ山公園から宮窪漁港と浜集落をのぞむ。第1次漁港整備計画事業(昭和27年度~29年度)から第8次漁港整備計画事業(昭和63年度~平成5年度)によって整備された宮窪漁港。平成3年11月撮影