データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(11)弓削(ゆげ)神社社叢(法皇ケ原のクロマツ群落)(越智郡弓削町下弓削)

 この神社は、物部一族の弓削部がこの地に移り住み祖神の饒速日命(にぎはやのひのみこと)を氏神として社殿を創建したもので、『東寺古文書』の文治5年(1189年)の条に、濱途明神(はまとみょうじん)とあるがこれがおそらく弓削神社の前身と考えられており、同文書には正平4年(1349年)に法皇社(ほうおうのやしろ)という名前が見られ、これが法皇ヶ原の名前の由来となった。
 神社の社叢は、燧灘を望む絶景の地に広がる217,000m²もの広大なクロマツ林であり、昭和28年に「法皇ヶ原」として県の名勝地に指定された。かつて防風林として植林したものと言われ、旧正月8日を期して毎年島民が松苗を植え付ける「松植」という行事が行われている。名勝に指定された当時は、立木552本のうち、樹齢300年以上の老松が287木もあり、うっそうとして昼なお暗い状態であったと記されているが、その後、南海地震による地盤沈下により高潮時には海水の侵入を受け、さらに台風で倒木が相次ぎ、昭和47年には立木は330本に減少した。現在は海岸堤防を設置し保全を図っている。しかし、松枯れの被害を受けて枯倒木(ことうぼく)が相次ぎ、現在では老木はわずかとなった。

写真2-1-14 弓削神社

写真2-1-14 弓削神社

平成3年10月撮影