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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(12)岩城八幡(いわきはちまん)神社社叢(越智郡岩城村東)

 勧請年代は不明だが、清和天皇6代の裔、伊予守源義公が伊予国を領地し給うとき、当国に7社建立した内の1社といわれ、以前は当村の宮之浦にあったが、永和年間(1375~1378年)に神忠という者が亀山(現在の地)に遷宮した。その後、明徳3年(1392年)には村上修理亮敬吉(むらかみしゅりのすけたかよし)が、ここに居城を構え亀山城と称し、神社を一時、北の銅山に移したが、応永13年(1407年)に再び復宮した。かつては亀山八幡宮と称したが、明治3年(1870年)に岩城八幡神社と改称した。
 神社は、港に面した城ノ鼻にあり、社殿を取り巻く斜面はウバメガシの林となっている。西~南斜面のウバメガシ林は、混生種は少なくヒトツバが目立つ程度である。東~北東斜面のウバメガシ林にはネズミモチ・クスノキ・モッコク・ヒサカキ・ヤブツバキ・クロガネモチ・サカキ・トベラなどが見られ、林床にはヤブコウジが優占しヤブラン・ジャノヒゲ・マンリョウ・ベニシダ・シュロなどが生育している。林内にはマツの切り株が多く、かつてはウバメガシの上層にマツの高木が突出していたのだろう。北側に鳥居があり、石段のすぐ左には根周り3m以上のマツの切り株がある。
 このほかに岩城村には若宮と西部に小規模の社叢がある。若宮のものは岩城八幡神社と同様にウバメガシの林であり、アベマキの大木がある。西部の西部八幡神社(重山八幡宮)はアカマツ・クロマツ林で下層にウバメガシが優占しており、鳥居の手前左は4本株立ち(直径50cm前後)のクロガネモチの大木がある。