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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

1 原植生としての照葉樹林

 四国のように山野が多い地域では、広い範囲での景観は、山を覆う植生(森林や草原などある地域を覆っている植物集団)にもっとも強く影響されていると言えよう。ところで、植生は主として気候に支配されて成立しているが、過去の気候の変化とともに植生は大きく変化している。また人為的なインパクトによっても植生は大きく変化している。そこで、原植生からどのような経過を経て現存植生に至ったのかを考えてみたい。
 ここ数万年の間でもっとも寒冷な時期は、最終氷期の最寒冷期(約2.1~1.8万年前)であり、一般に年平均気温は現在よりも7~8℃ほど低かったとされており(①)、この低下率をもとに安田(1980年)は、当時の森林帯気候の分布図を示している(②)。瀬戸内海は陸化し、大陸と陸続きとなってナウマンゾウをはじめとする大型動物が生息していた。花粉分析によれば、この一帯を覆っていた森林は、チョウセンゴヨウなどゴヨウマツ亜属・コメツガやツガなどのツガ亜属・トウヒ属・モミ属などの針葉樹林だったと考えられている(①)。
 現在、愛媛県では、これらの針葉樹林の多くは内陸の高海抜地にわずかに見られる。なかでも、チョウセンゴヨウ・コメツガ・ハリモミは、岩礫地などで他種との競合を回避できる立地に自生しているが、分布はきわめて限られており〝氷河期の遺存植物〟といわれる。
 その後、次第に温暖化がすすみ、九州南部や四国の太平洋岸などに退避していた照葉樹林は北上を開始した。
  ※照葉樹林とは、常緑広葉樹林に含まれ、温帯の南部すなわち暖温帯の多雨気候の地に見られる森林で、日本の常緑広葉樹
   林といえばこれを指す。革質で光沢のある無毛のクチクラ層の発達した中形葉が多い。日本の低地ではブナ科およびクス
   ノキ科の常緑広葉樹を主とする(③)。
 尾道市農協病院から得られた資料による花粉分析の報告では、約9,000年前にはアカガシ亜属が30%の高い出現率を示しており、当時は照葉樹林が備讃瀬戸まで達していたといえる(①)。温暖化とともに海面が上昇し、瀬戸内海が形成されていったが、大阪湾沿岸の海水準変動曲線(④)からみて、9,000年前は備讃瀬戸一帯はまだ陸地であり東西の分水嶺をなしていた。
 西日本一帯が、広く照葉樹林に覆われたのは、約6,500年前といわれている。このころの気候は、現在よりも温暖化・湿潤化しており、年平均気温は2℃ほど高く、したがって森林帯は300~400mも上昇していたとされる(⑤)。また、気温の上昇に伴って、海水面も現在より約2~5m上昇した(⑥)。
 つまり、愛媛県の瀬戸内海島しょ部に照葉樹林が成立し始めたのは約1万年前以降で、約6,500年前には広く発達しており、その照葉樹林は、年平均気温の比較では、現在の鹿児島県南部か足摺岬付近に見られる照葉樹林に近い種組成と考えられる。
 さて、現存の社叢林や各植生に基づいて、当時の島しょ部の景観を以下のように推定した。大部分は照葉樹林が発達している。海岸では、急傾斜地や露岩地にはウバメガシ林が帯状に見られ、平地(現在よりも少ないが)や谷部、北側斜面下部などには、シイ(スダジイ・ツブラジイ)が混生するクスノキ・ホルトノキ林が見られ、その他の斜面にはシイ林が見られる。