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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(1)遍路の実態とその心情⑥

 (ソ)充実感を感じるとき

 遍路中に充実感を感じるのは、「霊場でお参りしたり、お参りを済ませたとき」が26%と最も高い比率を示している。そのあと「お接待や親切にふれたとき」が15%、「霊場・山門に着いたとき」が14%、「遍路仲間と話をするとき」が12%と続いている。
 また、「お接待や親切に触れたとき」が2番目に多いことからうかがえるように、遍路行における充実感のあり方に、接待された経験が少なからぬ影響を与えていると思われる(⑯)。
 「早大道研」の調査でも、単純集計では、「霊場でお詣(まい)りをしているとき」46%、「霊場の山門に着いたとき」38%、「お大師様と共に歩いていると感じるとき」30%、「お接待や親切に触れたとき」25%、「霊場で納経をすませたとき」21%、「結願をしたとき」18%、「先達や他の人と話をするとき」16%、「つらい道中を顧みるとき」15%、「不思議な現象(霊験)を体験したとき」10%、「朝、宿を出発するとき」6%、「とくにない」5%、「その他」4%、「不明・無回答」2%という結果がでた(⑰)。
 これらの結果からみると、「霊場でお詣りをしているとき」や「お大師様と共に歩いていると感じるとき」という比較的信仰に直接関(かか)わってくる選択肢が高いパーセンテージを得て上位にきている点が注目される(⑱)。また、「お接待や親切にふれたとき」や「遍路仲間と話をするとき」など、遍路中に誰もが経験することも充実感を感じる要素になっているようである。

 (タ)「ご利益」に関して

 どのようなご利益があったかについては、「心が安らかになった」26%、「これまでの人生や自分を見つめ直すようになった」16%、「気分が明るくなった」12%など、遍路は巡拝を終えたあと、満ち足りた感情にひたりながら、将来の生き方を見つめ直す様子がうかがえる。
 参考までに、平成3年(1991年)に徳島大学総合科学部が公認先達を対象にして行った調査の中の巡拝効果によると、「日常生活で心が安らかになった」、「巡拝によって心の通い合う友達が得られた」、「健康保持に役立っている」、「生きがいを感じるようになった」が高い割合を示している。

 (チ)現代四国遍路の実態

 アンケート結果をもとに、現代遍路の特徴をまとめると、次のようになる。

   ① 遍路の居住地を地域別に分類してみると、四国地域が最も多く、近畿地域、関東地域が続く。数は少ないが、全国か
    ら四国霊場を訪れており、外国人の遍路もみられる。
   ② 一般に、四国遍路の主役は高齢者層で、50歳代が31%、60歳以上が33%を占めている。また、若者の遍路が増えて
    きており、20歳代以下が13%に達している。
   ③ 「同行二人」と呼ばれて、お大師さまと共に歩く一人での遍路が26%であるのに対して、グループによる遍路が
    20%と意外に少ない。納経手続きなど、巡拝時間に制約のあるグループ遍路はアンケートに答えにくいために実際の
    数より少ない値になっていることが予想される。
   ④ 車で四国霊場を巡拝する主な理由に、43%が「時間的余裕がない」を挙げている。近年、車遍路による短期間の部
    分的な霊場巡拝に比重が移り、徒歩による長期間の道中修行が敬遠されがちである。きわめて多忙な現代社会において
    は、徒歩遍路に必要な時間が十分とれない人々が多いし、時間があっても体力その他の問題で徒歩遍路ができないケー
    スも少なくないであろう。また、車の利便性に慣れた現代人は、旧来の徒歩遍路を理想にしつつも、時間的な余裕がな
    いなど様々な理由から、結局は車遍路がその大半を占めるのが四国遍路の実態である。
   ⑤ 宿泊施設に関しては、今日、経済的にも豊かになり、交通手段も発達して四国八十八ヶ所を10日間あまりで巡拝す
    るようになると、宿泊日数も少なくなり、宿泊様式も多様化している。
   ⑥ 「充実感」に関する回答結果によれば、「霊場でお詣りをしているとき」や「お大師様と共に歩いていると感じると
    き」など、信仰に直接かかわってくる選択肢が高い比率で上位を占めているのが注目される。それに比べて、「お接待
    や親切にふれたとき」が15%、「遍路仲間と話をするとき」が12%、「長い道中を顧みるとき」が9%と、広い意味
    での遍路行全般にかかわるような充実感の感じ方も結構多い。

 ウ 遍路に出たいきさつや心の変化

 旅の快適化が進む中で、なぜ、あえて人々は四国霊場を歩いて巡拝しようとするのだろうか。霊場巡拝の行動を起こす背景には、それぞれ、その人なりの動機やきっかけがあるはずである。
 今回の調査では、アンケートの質問項目の最後に、「今回の遍路に出たいきさつや心の変化」を自由に記述する欄を設けたが、アンケートの全回答者501名のうち、約120名から協力が得られた。
 先祖供養のための遍路、自己を見つめ直すための遍路や悩みを抱えた遍路、また定年を機会に巡拝する遍路や人生の区切りとして巡拝する遍路、そのほかにも様々な遍路が車や徒歩により巡拝している様子がうかがえた。その中には若い男女の遍路や遍路の最新情報をパソコンを活用して提供する自転車遍路なども含まれており、外国人の遍路からも回答があった。回答者の年齢も、15歳から80歳代までと幅があったが、遍路に出た動機や目的も多種多様であった。
 自由記述に関しては、車による家族中心の遍路がアンケートに協力的であり、歩き遍路も時間的にも余裕があって、回答が多かった。その記述内容をまとめると、次のようになる。

 (ア)先祖供養のための遍路

 大阪市の58歳の男性は、「先祖供養を思い立ち、自分の人生についても考え直すための遍路です。今では心にゆとりができて、いらいらしなくなったようです。」と記していた。
 また、自転車で巡拝中の高崎市の男性は、「昨年(平成11年)、しまなみ海道を渡り、今治と松山周辺の19か寺を回る計画を立てていた。しかし、台風で断念し、今回、念願がかなって4日間の巡拝を行っている。一か寺、一か寺をお参りするごとに何かすがすがしい気分になり、生きる希望がわいてくるような心境の変化が感じられる。今までの観光旅行では味わえなかった充実した気分だ。今回は一部のみだが、あと2回くらいに分けて残りの札所を巡拝したいと思っている。多分これから、いろいろな人に四国巡礼を勧めたくなるような、そんな旅になるだろう。」と、かつて二度、四国霊場を巡拝した母親の供養を兼ねて、巡拝したい意欲をみせていた。
 また、山口県下松市の女性は、「以前に、先祖供養の巡拝を終えたあと、今回はお礼参りなので、白装束をやめて普段着で歩いていると、周囲の反応や巡拝される方々の姿や心から、感じるものが多くありました。白装束の歩き遍路にはお接待も多く、人は外見で判断されるものだとつくづく思いました。せめて自分の心はカメレオンにならないように、不動心をもって巡拝し、130枚の写経を納めてきます。人間は弱い生き物なのだということを、いろいろと学ばされてよかったです。」と、遍路道周辺の人間模様を分析して、今後の生き方への反省点を語っていた。

 (イ)自己を見つめ直すための遍路

 大阪府の49歳の男性は、「歩き遍路だけで巡拝している。宗教心がなくても、現在生きている自分を発見できるのが四国遍路であると思う。他の人に強制するものでもないので、自分の心の中でそういう心が芽生えた時に遍路に出ることができる。環境(行きたいと思う心、時間、身体の健康、周囲の理解)が整い、実行できれば一番幸せではないだろうか。」と結んでいた。
 また、徳島市の56歳の男注は、「3年前から歩きの遍路旅に出てみると、沿道の方や民宿の方、食堂の方々の親切に触れて、人とのかかわりのすばらしさが実感できる。とくに子供たちがあいさつをしてくれるたびに、この遍路文化の素晴らしさを再認識している。多くの人々に感動を与え、人間の素晴らしさを再認識できるこの遍路文化を大事にして欲しい。」と結び、徳島県の「いやしの道づくり事業」にも関心を寄せていた。
 また、子供のころから遍路にあこがれていたという名古屋市の50歳の女性は、「20年ほど前から仏教の本を読んだり、インド哲学の講座を受ける中で、空海との出会いは強烈な印象でした。知識として空海を知れば知るほど大好きになっていった。そして平成10年に1週間の遍路の旅に出たが、やはり、お遍路の旅はとてつもなく素晴らしいものだった。歩いて歩いて、限界を越えて歩いている時、ふと自分というものが分解されて大自然のなかに溶け出して行ってしまうような感覚、そんな体験が私をとても豊かにしてくれる。日常の生活の中で、辛いとき、苦しいときにこんな体験が私を支えてくれ、このお遍路の日々を思い出すと心が温かくなる。四国で受けたお接待の心を、私も日常の場で生かしたいと思い、障害者の方へのボランティア活動を始めた。お大師さまの言葉のとおり、すべてを自分のために使うのではなく、少しでも誰かのために使いたいと願って生きている。」と遍路経験を生かして、今後の生活目標を立てていた。
 また、京都市の59歳の男性は、「学生のころより一度でよいから空海の足跡を自らの足を頼りに歩いてみたいと思っていた。昨年春に一周し、また秋に一周、そして今年の春は別格二十霊場を含め、108か寺を全て歩いて巡拝させてもらった。そして、今秋も42日間で一周する予定で出てきた。4回の歩き遍路を通して、私自身もささいな事では怒らなくなり、気持ちも大変まるくなったようで、家内も喜んでくれている。歩き遍路をしながら感じたことは、やはり四国はお大師さまを尊敬する土地柄であり、日本もまだ捨てたものではないと思う。なぜなら、早朝、歩いていると茶髪の高校生があいさつをしてくれるし、また、数多くの人々より心温まるお接待を受けた。」と、四国遍路の良さを語っていた。
 愛知県の20歳の男性は、「四国遍路は様々な思いで回っている人がいる。自動車で排気ガスをまき散らして回る人、自転車で回る人や歩く人。皆それぞれが、自分に一番適した巡拝の仕方をしている。自分は以前にアメリカ大陸を横断する『Global Peace Walk』に参加し、もう一度行くつもりだったが断念して四国遍路を歩いている。自分の一歩一歩が大地への生きとし生ける全てのものへの祈りだと考えており、遍路道を作ってくれた人や、虫や花など全ての生きものに感謝して歩き続けたい。」と徒歩遍路へのこだわりを見せていた。
 また、奈良県天理市の30歳の男性も、「私はお大師さまが好きで、徒歩遍路3回目の巡拝中だ。四国の遍路道にはいろいろと助けてくれる人がおり、その人々との出会いがうれしく、感謝したいから回っている。四国遍路は、自分の足を痛めながら歩いてみないと本当の良さは分からない。歩いてみると、人の優しさ、ありがたさ、汚さ、醜さがよく分かる。四国では、まだ遍路道周辺の人々の信仰が生きており、その人々に感謝している。」と歩き遍路やお接待の風習の良さに触れていた。
 長野市の22歳の女性は、「テレビなどで、遍路を自分探しの旅として歩いている若い人たちがいると聞き、興味を持ったのがきっかけです。1,000km以上も歩いて旅すれば自信がつき、人生観が変わることも期待しています。体力的に全て歩くのは不可能なため、バスや電車などを利用しているので心境に変化があるというのは分かりませんが、単なる観光だけで終わらせたくないと思っています。しかし、考えてみれば、きつい山道もお大師さまが与えてくれた苦難で、これを乗り越えれば成長するチャンスだと考えようと努力しています。旅を通して少しずつ心境に変化があるかもしれません。」と、四国霊場を半分ほど巡拝して、今までを振り返り、今後の抱負を述べていた。
 お遍路姿の巡拝者の中に、歩き遍路を続けている外国人をときどき見かけるが、そのうちの、遍路中の二人から回答があった。
 徳島県藍住町在住のカナダ人女性は、「霊場は静かな雰囲気で寂しい感じがするが、本堂や大師堂でお参りを済ませると、私に何か訴えるものがあります。歩いていると周辺の人々から、タオルや服のほかに宿泊場所の接待も受けました。般若心経の意味はある程度分かりますが、英語の遍路地図があると良いと思います。巡拝しようと思う気持ちが強ければ、厳しくて苦しい遍路道も我慢して歩けます。遍路本来の意味はまだ分かりませんが、自分を見つめ直すことができました。」と、一人で歩き遍路をしながら、自己分析をしていた。
 また、55歳のイギリス人男性も、「日本の仏教、言語や文化を知ることと、自分自身を見つめ直すために巡拝している。歩き遍路を続けていると、飲み物、お金や宿泊場所の接待を受けた。野宿をしていると、蚊に悩まされたが、遍路道周辺の自然(小川のせせらぎ、山岳と河川、大海と断崖)を眺めながら歩いていると、自分自身を見つめ直すことができる。これからも、歩きながら他人との交流を深め、感覚を研ぎ澄ませて、人生や自分自身の理解を深めていきたい。」と記していた。

 (ウ)悩みを抱えた遍路

 悩みを抱えながら遍路に出ている人は結構多い。その例を示すと次のようである。
 匿名希望の遍路は、「生きていく上での問題の打開、まだ何もつかんではおりません。何かを見出したいと願っております。肉体の苦しみ、心の悩みと迷いの中から、新しい世界、新しい道を見出したいと願っております。魂の解放と歓びと安寧(あんねい)、生まれてきてよかったと思える生き甲斐(がい)、神仏も知らず、その実在も見いだしてはおりません。何のために生まれ、生き、死んでゆくのかも分かりません。弘法大師と一緒に歩いているという実感もあまりありません。ある札所で、『あなたの祈る心の中に弘法大師がおられる』と書いてありました。そうなのかも知れません。それにしても、7月の下旬、門前に立ってセミの声を聞き、来てよかったと感じました。このように降るようなセミの声の中にいつまでも居たいと思いました。ありがたいセミの接待です。」と記していた。
 また、香川県の31歳の男性は、「これまでの数年間、自分の強い望みがなかなかかなわず、心が苦しく乱れていました。道中、親切にしていただいたり、お寺に参らせていただき、今までのわだかまりが解け、心安らかに巡拝を続ければ、きっと願いもかなうと信じる心が目覚めました。前向きに生きていきます。」と決意をしたためているのが印象に残った。
 次に、千葉県の61歳の女性は、「家族となかなか、しっくりいかない毎日の繰り返しの中で、自分なりの努力を続けています。しかし、家族がばらばらの感じが多々あり、自分の心の修養があったら、もう少し皆をまとめていく力が生まれるのではないかと、一人で遍路の旅に出ました。土地の親切な接待、道中でお会いしたお遍路さんの道案内などに心より感謝しています。この世にこのような接待の世界が残っていることに驚き、感心し、その気持ちを大切にして、これからの生活に立ち向かっていきたいと思います。」と四国遍路における接待の習慣を通して心を癒(いや)し、今後の生きる決意を示していた。
 さらに、愛知県の68歳の男性は、「永年連れ添った妻が体調をくずし、また、息子の件もあって、精神的に何かに頼りたくなり、心安らかになって、家庭に平和がもたらされればと思い、遍路に出た。」と述べながら、遍路を始めて4年目でも、まだ何もつかめていないようであった。
 最後に、ほとんど無一文で、托鉢(たくはつ)を中心にして巡拝している男性は、「5年前から遍路に出る計画を立てていた。1年10か月、四国及び西日本各地を托鉢しながら、野宿と自炊を中心にした遍路を続けている。いくつかの悩みが重なって遍路の旅に出るようになったが、四国にはお遍路さんのスタイルをしているだけで、接待をしてくれる親切な人々が数多くいることには驚く。インドの釈尊(しゃくそん)によって仏教は始まったが、遠く離れた西国の島国、四国で開花したようだ。お釈迦さまが一番願っていたテーマを実践しているのがお遍路さんだといえる。」と記していた。
 このほかにも、孫や子供の健康への不安や回復を遍路の旅に託して巡拝している人も多かった。

 (エ)定年を機に巡拝する遍路

 定年を機に、団体や夫婦で遍路の旅に出る人は結構多い。
 愛知県の71歳の男性は、「5年間の嘱託勤務を終え、全く自由な立場になってから6年間。読書、草花や家庭菜園作りで1日が過ぎていく毎日。それはそれなりに意義のある生活だが何か満足できず、心の中に空虚な一部があることを感じていた。残り少ない人生を完全に燃焼させて、今度こそは悔いのないものにしなければいけないと考え始めてきた。大学卒業時点で法曹の道を志していたが、努力が足りず果たすことができなかったので、もう一度司法試験を受験してみよう。加齢による全能力の可能性は20代、30代の若い人たちより著しく減退しているが、もし、四国八十八霊場を歩き遍路で完全に踏破できたら、まだ私の中に可能性があることを証明できるのではないかと考え、遍路の旅に出た。」と記していて、四国遍路の巡拝を終えて、更に将来の夢を追いたい様子であった。
 また、岐阜県の51歳の女性は、「今までに、生き方を変えようと思うことが度々あり、夫婦で西国を巡り終えました。そして、主人の定年を控えて、3年前から2、3日間を四国巡拝に当て、共に二人きりで過ごしてきた生活を見つめ直しています。あと何年かかるか分からないが巡拝し終えて、これからの生き方を共に考えたい。」と結んでいた。
 次に、神奈川県相模原市の61歳の女性は、「高校時代に四国遍路を知り、時間にゆとりができたら、ゆっくり徒歩で回りたいと思っていました。60歳の定年を機に少し先輩の方二人と出ることになりましたが、いざ実行してみると、本や地図を見て計画したことと違い、大変でした。案内書を4冊くらい買いましたが、それぞれの経路や時間に食い違いがありました。特に六十番横峰寺や六十六番雲辺寺はバスがあるのか、またどこから出ているのかを直接、市役所や役場またバス会社に電話をして調べました。回って気の付いたのは四国も昔と違っていることで、自然の多い四国をこれ以上壊さないで欲しいと思いました。なお、団体による巡拝が多いので個人で回るのは何かと不便です。宿坊や納経所でも待たされたり、断られることも度々ありました。これからの遍路は団体かマイカーでないと来られないのかなと感じながら巡礼を続けています。」と感想を記していた。
 また、東京都の60歳の男性も、「人生の一区切りと考え、4月に阿波10日間、5月に土佐16日間巡拝し、今回の10月に伊予10日間、11月に讃岐10日間くらいの計画を立てている。過去2回の紀行文をインターネット仲間に流しており、道中の様々なことを率直に表現したところ、続編の希望も多い。きっと、現役組など、四国遍路に行きたくても行けない人にとっては、あたかも自分が歩いているような気分になれるからかも知れない。自分としては、お遍路での体験を通して一種の文明批評を試みているつもりだ。」と記していた。

 (オ)自分探しの旅を続ける若者遍路

 ここ数年、お年寄りに混じって歩く若者が多くなったという話は遍路道周辺の至る所で聞いた。その若者が、手記を寄せており、四国遍路の経験を今後の生活に生かしていこうとしていた。
 鳥取県の26歳の男性は、「人生の区切りとして巡拝している。職場も変わるし、近々、結婚もする。これまで三度回ったが、いずれもお大師さまのおかげを頂いている。これから二人で共に生きていくための、新たな出発に向けての修行であり、精神修養でもあると考えている。四国遍路に来ると必ず心の変化がある。そのために、人は何度もお四国に足を運ぶのだと思う。優しいだけでなく、強い人間になって帰って行きたいと思う。」と記していた。
 広島県甲山町の20歳の女性も、「今回の遍路に出たいきさつは、友達が一番霊山寺(りょうぜんじ)から二十三番薬王寺まで歩いたと聞いて、私も自分探しの歩き遍路に出ました。歩くのは好きだし、体力にも自信がありましたが、実際に歩いてみると、暑さと苦しさで途中でやめようと思ったこともありました。しかし、十一番藤井寺から十二番焼山寺までの厳しい遍路道を歩き通したときから、考えが変わりました。歩き通した時の充実感、そこで飲んだ水のおいしさ、あの感動は忘れられません。しんどいことから逃げるのではなくて、立ち向かっていくことが自分の成長につながるのだと強く思いました。また、地元の人々の励ましやお接待がとても有り難く、辛いときでもここまで頑張ることができました。それに、至る所にある立て札やシール、草を刈って遍路道を歩きやすくしてくださったボランティアの方々、さらに今日まで私を育ててくれた家族など、いろいろな人の支えがあるからこそ、今、こうして一歩一歩、歩くことができるのだと喜びをかみしめています。今まで受けてきた数々のご恩に感謝し、今度は自分が何かの機会に人の役に立てればいいなと思います。今後もまだ遍路道は長くつらいことがあると思いますが、自信を持って頑張っていきます。」と自分を振り返り、今後の決意を述べて、徒歩遍路を続けている女性もいた。
 自転車で巡拝している遍路もおり、山形市の22歳の男性は、「自転車で四国一周の旅に出ようと思っていた折に、四国遍路のことを知り巡拝している。やってみると苦しいことばかりだが、充実感や達成感もあり、来てよかったと思っている。歩いて回っている人はすごいと思う。四国の若者の関心が薄いようだが、もっと遍路の楽しさを分かって欲しい。」と感想を述べていた。
 同じように、三重県松阪市の20歳の学生は、「自転車での四国一周を目的とし、そのついでに八十八ヶ所霊場を回ってやろうと遊び半分で始めた。ところが、中途半端な気持ちで始めると大変で、何度もやめようかと思った。それでも、札所に着く度に次の札所への思いが強くなりはじめ、弘法大師には負けぬぞという気持ちで今は回っている。絶対に八十八ヶ所を回り通す。」との決意を述べていた。
 さらに、最近はパソコンを駆使する人が多いが、遍路の中にもその傾向がうかがえた。松山市の26歳の男性は、自転車による四国八十八ケ所の巡拝を終えて、インターネット上に『同行二輪 快速へんろ』と題するホームページを開設している。アクセス回数も結構多くて平成12年11月初旬に26,000件を超えており、自転車による巡拝に興味をもった人たちが意外に多いことが推察できた。
 以上、100人あまりの記述内容をまとめたが、回答者の少なからぬ人が、道中遍路を通して、安らぎや充足感を感じ、内省の深まりを通して癒(いや)され、精神的にも成長していく様子を感想として吐露していた。

図表2-2-43 遍路中の充実感

図表2-2-43 遍路中の充実感


図表2-2-44 ご利益の調査

図表2-2-44 ご利益の調査