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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)巡拝度数と納札の色

 ア 納札

 霊場を回るとき、そこにお参りした印として、一般的には本堂や大師堂に札を納めることになっている。その札を納札という。おさめふだ、のうさつとも読み、巡礼札ともいう。木製・金属製・紙製の札に、巡礼コース・祈願・氏名・年月日などを記したもので、縦長の長方形で上部を三角にすることもあるという(⑭)。中務茂兵衛の280回最後の金札は上部が三角である。
 木製や金属製の納札は、霊場寺院の柱などの上部に釘で打ち付けて納めた。そのため、霊場寺院を「札所」といい、参拝することを「打つ」という(⑮)。
 納札について、真念は貞享4年(1687年)刊『四国遍路道指南』の中で、遍路者の準備すべきものを記している。その他「紙札うち様の事」との表現も同書の中で使われている。「札はさみ板」の中に、「木札」も入れたかどうかはわからないが、「紙札調やう」とあるように、真念の時代に、既に「紙札」が用いられているのは間違いない。
 その木札を納めていたことについて、安永年間(1772年~1781年)に出された『類集聚名物考(⑯)』に「今は其の事いつしか絶えて、名のみなれども紙札を貼れる事とはなれり」とあるそうである(⑰)。

 イ 巡拝度数と納札の色

 納札の色は巡拝度数によって変わってくる。白井加寿志氏は、この納札が色別になっていて、しかもそれが時代によって変遷しているとして、その例を挙げている(⑱)。①②⑤⑥⑦が白井氏の取り上げている例である。

   ① 「2回目青札、3回目赤札、4回目黄札、5回目白札、6回目黒札、これを五行相應と云て、かくのごとく致し候で
    何の望にても叶事奇妙也」(1802(享和2)年、『四国道中手引案内』)
   ② 「7度廻りしものは赤札を納む。14度より青紙札、18度より黄紙札、21度より上は皆文字なしの白紙を納む」
    (1836(天保7)年『四国遍路道中雑誌』)
   ③ また、前述の明治28年多数度巡拝者額面では、次のようになっている。
     金札は巡拝30度以上の者が使い、26度、29度で使っている者もわずかながらいる。白札は21から28回で使ってい
    る者が33人、赤札は7回以上で使っている者が211人いる。1回から20回までの札色は不明で、銀札はない。
   ④ 昭和9年(1934年)発刊の『同行二人 四国遍路たより(⑲)』には次の一文がある。「…納札の中無字の札は特に
    尊いものとされ普通の人は使ふことが出来ません。巡拝七度にして始めて無字の白札を使ふ資格が出来、白札が二十一
    回で赤札となり、赤札が三十度又は四十度で銀札となり、更に五十回で金札となります。」
   ⑤ 「白札は10回までのもの、赤札11回から20回まで、無字の白札21回から、無字の金札50回から」(1962
    (昭和37)年、『近世社会史考』)
   ⑥ 「1回目は白札、20回以上は赤札、30回以上は何も書いていない白札、50回以上は何も書いていない金札」
    (1969(昭和44)年、『巡礼の民俗』)
   ⑦ 「昭和の初期までは1回から6回までのものは白紙の納札を用い、7回以上が青、10回以上が赤、そして20回以上
    が金色となっていたが、最近『霊場会』の集まりで、1回が白、2回目が青、10回目になると赤、20回目から銀色を
    使用し、30回以上は金色の納札を用い、なお50回以上の者は赤い肩衣を着ることを規定したのである」(1971(昭
    和46)年、『巡礼の社会学』)

 そして平成の現在では、次のように記されている。上が『四国八十八ヶ所遍路手帳』所収の「『四国八十八ヶ所霊場会』からのお知らせ(⑳)」に記載の表で、下は白木利幸氏の文章(㉑)を、霊場会との対比のため表にしたものである。

   納め札は回数によって変わります。
    白  1回~4回
    緑  5回以上
    赤  7回以上
    銀  25回以上
    金  50回以上
    錦  100回以上

   巡礼の回数で納札の色を変えることもあり、地方によって若干の違いがあるが、
    白  4回まで
    緑  7回まで
    赤  20回まで
    銀  50回まで
    金  100回まで
    錦  100回以上
   (以上が)一般である。

 納札の色は時代によって様々である。白井加寿志氏は、納札の変遷について、次のように述べている。「交通の発達などにより、巡拝回数がふえ、ために納札による段階もふやしていかねばならないということか。そして何も書かない納札とは、回数がふえたので、お大師様も願いの者、願いの内容などを書かなくてもお分かりいただけるということであろうか。なお納札は本来以外に、巡拝の途中で接待を受けたりした場合、お礼として相手に渡したり、遍路同士で挨拶変わりに交換したりすることがあって、四国を廻るに、普通は、400~500枚必要だと言われる。(㉒)」

<注>
①真念『四国遍路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P113 1981)
②喜代吉榮徳『へんろ人列伝』P36 1999
③平井玄恭「山本玄峰の四国遍路」(『大法輪 4』P119~123 1979)
④前出注② P34
⑤前出注② P37
⑥前出注② P38
⑦白井加寿志「四国遍路の実態」(『徳島の研究 7』P218~219 1982)
⑧前出注⑦ P219
⑨前出注② P38~40
⑩前出注② P40~42
⑪前出注② P42~43
⑫前出注② P37
⑬前出注② P47~50
⑭白木利幸『こころを癒す巡礼参拝用語事典』P46 2000
⑮前出注⑭ P46
⑯山岡浚明『類集聚名物考』(安永年間〔1772~81〕)
⑰前出注⑭ P49
⑱前出注⑦ P221
⑲安達忠一『同行二人 四国遍路たより』P6 1934
⑳NHKサービスセンター松山支社『四国八十八ヶ所遍路手帳』
㉑前出注⑭ P49
㉒前出注⑦ P221~222