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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業10-西条市-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 周桑平野の水利と農業

 東予地方のほぼ中心に位置する周桑平野は、大明神(だいみょうじん)川・新(しん)川・中山川などが形成した沖積平野で、その東方に広がる加茂川・室(むろ)川などが形成した西条平野と併せて道前平野と呼ばれている。周桑平野は、ほぼJR予讃線辺りを境界に、山麓側は扇状地性の平野、海岸側は三角州性の平野に区分され、南を石鎚山前面の山地、西を高縄山地に限られる。平野の西方の高縄山地前面には、北から大明神川や新川、関屋(せきや)川(中山川の支流)などが典型的な扇状地を形成しているが、扇状地の発達が良好であるのは、西方の高縄山地から流下する河川の砂礫(されき)の供給が多いことに起因する。
 周桑平野では灌漑水源を大明神川・中山川の表流水と伏流水、それに山麓に構築された溜(ため)池に頼っており、旧丹原(たんばら)町域では17世紀ころから溜池の構築が大規模に行われた。関屋川と中山川の合流点に設けられた釜之口堰(かまのくちぜき)で取水した水は掘割水路を通って中山川左岸の耕地を灌漑し、寛政3年(1791年)に築造された兼久(かねさ)大池(池之内池)に貯水されている。しかし、干ばつが続くとそれらの水では間に合わず、踏車やはねつるべなどを用いた揚水灌漑が行われていた。大正年間から昭和初期にかけて動力を用いた揚水ポンプが普及し、さらに、昭和42年(1967年)に完了した農林省(現農林水産省)道前道後平野農業水利事業による面河(おもご)ダムの水が導入されるようになると、この地域における水利状況は著しく改善された。
 本節では、旧丹原町における水利と農業について、Aさん(昭和5年生まれ)、Bさん(昭和10年生まれ)から、周桑平野における揚水ポンプの導入・普及について、Cさん(昭和19年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。