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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業11-鬼北町-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 近永の町並み

 旧広見(ひろみ)町は鬼北(きほく)町の西部に位置し、北は西予(せいよ)市、西は宇和島(うわじま)市、南は松野(まつの)町に接しており、総面積の8割を山林が占める農村地帯である。
 江戸時代には宇和島藩に属していたが、吉田(よしだ)藩の分封後、一部は吉田藩の管轄とされた。明治22年(1889年)の町村制の実施により、旭(あさひ)村、好藤(よしふじ)村、愛治(あいじ)村、三島(みしま)村、泉(いずみ)村が誕生し、昭和16年(1941年)、旭村は町制を施行して近永(ちかなが)町となった。昭和30年(1955年)、これら5か町村が合併して広見町が発足して以後は、昭和33年(1958年)に好藤地区の是延(これのぶ)集落が三間(みま)町(現宇和島市)に分割編入されたほかは行政区画の変更はなく、平成17年(2005年)に日吉(ひよし)村と合併するまで広見町として存続した。
 旭村、近永町、広見町、鬼北町の各役場が置かれた近永は、大正から昭和にかけて鬼北地方の中心的な商業集落として発展したが、その発展は大正3年(1914年)の宇和島鉄道の近永までの開通や、昭和に入ってからの愛媛県立北宇和農業学校(現愛媛県立北宇和高等学校)の設立、国立アルコール工場、近永病院(現鬼北町立北宇和病院)の誘致などによるところが大きい。役場付近には官公庁や公共機関が集中し、奈良(なら)川を越えて東方の永野市(ながのいち)付近まで市街地が拡大している。
 本節では、近永及びその周辺地域の昭和30年代前後のすがたとくらしについて、Aさん(大正13年生まれ)、Bさん(昭和3年生まれ)、Cさん(昭和17年生まれ)から話を聞いた。