データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予の遍路道(平成13年度)

第1節 県境松尾峠から龍光院への道<注>

<1>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P95 1981)
<2>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第七集 宿毛街道』P7 1997
<3>前出注<1>P94
<4>澄禅『四国遍路日記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P39 1981)
<5>「四国のみち」は「第三次全国総合開発計画」(1977)の自然環境保全に関する計画課題を受け環境庁と建設省がそれ
  ぞれ路線を決め着工し、「環境庁ルート」は1989年、「建設省ルート」は1999年に完成した。それぞれのルートとも遍路
  道を多く取り入れている。
<6>宿毛市教育委員会編「幡多郡中工事訴諸品目録」(『宿毛市史資料(四)』P98 1979)
<7>前出注<2>P9
<8>前出注<2>P9
<9>近代史文庫宇和島研究会編『記録書抜 伊達家御歴代事記 四』P274 1983
<10>前出注<2>P12
<11>前出注<1>P93~94
<12>前出注<2>P12
<13>愛媛新聞社『旧街道』P17 1973
<14>近代文庫宇和島研究会編『大成郡録』P1 1976
<15>愛媛県行政資料『土木例規』1882 愛媛県立図書館所蔵
<16>続・城辺町誌編集委員会編『続・城辺町誌』P322 1983
<17>蕨岡重賀『四國順拝道中略記』1879 (南宇和郡歴史民俗文庫解読) 一本松町立図書館所蔵
<18>井関又右衛門編『宇和旧記』(愛媛青年処女協会編『宇和旧記 上巻』P208 1928)
<19>前出注<1>P95
<20>前出注<1>P96
<21>真念『四国徧礼功徳記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P226 1981)
<22>前出注<13>P25
<23>前出注<1>P95
<24>九皋主人写『四国遍礼名所図会』(伊予史談会編『四国遍路記集』P257 1981)
<25>校名が日本一長いという学校。高知県宿毛市・愛媛県南宇和郡一本松町篠山小中学校組合立篠山小学校、中学校。
<26>前出注<1>P95
<27>前出注<24>P257
<28>和田良誉・村上護『伊予の伝説』P59~60 1979
<29>寂本『四国徧礼霊場記』(伊予史談会編『四国遍路記集 』P187 1981)
<30>前出注<24>P258
<31>松友孟・横山昭市・景浦勉『愛媛県風土記』P388 1991
<32>前出注<24>P258
<33>前出注<2>P38
<34>前出注<24>P258
<35>前出注<2>P26
<36>高群逸枝『お遍路』P55 1918
<37>宮尾しげを『画と文 四國遍路』P97 1943
<38>前出注<31>P384
<39>前出注<13>P31
<40>梅村武『へんろ道 四十番観自在寺より四一番龍光寺』P11 2000
<41>前出注<4>P39
<42>前出注<2>P29
<43>前出注<15>
<44>前出注<2>P29
<45>前出注<15>『県道並木新規植付見込御届』に「南宇和郡柏村 県道字柏坂、道路長―弐拾四町、巾―弐間、木種―
  松、弐千八百八拾本、但壱間二付壱本ノ積、右之通字柏坂県道工並木新規植付之見込二御座候間絵図面相添此段御届申上候
  也」とある。
<46>大淀三千風『四国邊路海道記』P561~62 1685
<47>高群逸枝『娘巡礼記』P94 1979
<48>前出注<13>P32
<49>愛媛県高等学校教育研究会・社会部会地理部門共同調査報告書『津島町の地理』P83 1984
<50>前出注<2>P32
<51>愛媛県高等学校教育研究会地理歴史・公民部会地理部門編『地形図でめぐる えひめ・ふるさとウォツチング』P111
  1994
<52>前出注<14>P50
<53>前出注<24>P258~259
<54>前出注<1>P96
<55>英仙本明・胎仙頓覚『南海四州紀行』(愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史資料編 学問・宗教』P772 1983)
<56>前出注<15>
<57>宇和島市文化財保護審議会編『宇和島の自然と文化(六訂版)』P103 1999
<58>前出注<4>P39~40
<59>下村宏・飯島幡司『遍路』P99 1934
<60>平凡社地方資料センター編『日本歴史地名体系第39巻 愛媛県の地名』P639~640 1980