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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)南光坊から泰山寺へ

 現在の五十五番札所は別宮山南光坊であるが、もとの札所は今治より海上七里にある大三島の大山祗神社(三島ノ宮)であった。その大三島町宮浦には「別宮迄七里」の徳右衛門道標㊻が立っている。
 今治市にある「別宮大山祇神社」は、この大三島の大山祇神社を勧請し建立したもの<43>で、通称「別宮さん」と呼ばれている。この本社と別宮に関して、『四国遍路日記』には「此宮ヲ別宮卜云ハ、爰ヨリ北、海上七里往テ大三島トテ島在リ、此神大明神ノ本社在リ。今此宮ハ別宮トテカリニ御座ス所ナリ。本式ハ辺路ナレバ其島へ渡。爰二札ヲ納ルハ略義ナリ。<44>」とあり、『四国邊路道指南』には、「是はミしまの宮のまへ札所也。三島までハ海上七里有、故に是よりおがむ。<45>」とある。また南光坊は、もと大三島大山祇神社の属坊として宮浦に建てられた24坊の一つであるが、正治年間(1199年~1201年)に別宮大山祇神社の別当寺としてこの地に移された8坊の一つで、明治維新の神仏分離によって別宮神社と分離し、独立して五十五番札所となったという<46>。現在、南光坊は別宮大山祇神社と道路を挟んで隣接し、八十八ヶ所の中で「坊」の名で呼ばれるのはこの南光坊だけである。
 南光坊では、大師堂と護摩堂以外は戦災で焼失し、本堂などは再建されたものである。大師堂の梁(はり)から柱、軒裏と至る所に古い板札から新しい紙札まで多くの納札が貼られている。
 北東側の県道から仁王門に入る手前の石橋の右に、延命寺案内の静道道標㊼がある。中央部で折れたものを補修して継いであるが、元は宮脇通り南光坊北入口町角に建立されていたという<47>。仁王門を入ると右側に大師堂、正面には本堂がある。右手の護摩堂前に、泰山寺・延命寺を案内した道標㊽がある。また境内を挟んで納経所寄りには、「(大師坐像)従是泰山寺十八丁…」の道標㊾がある。南光坊から泰山寺までは直線距離でも3km近くある。この道標㊾は泰山寺から18丁の辺りにあったものが移されたのであろう。
 納経所横を南東側に出た所に大正13年(1924年)に建てられた道標㊿がある。道標の手印は南東を指し、その下に「高野山別院・五十六番札所」と刻字している。ここから泰山寺への道は二通りある。2本の道は100mほどの間隔で、ほぼ平行に南西に延びた道である。一つは南光坊の南東側に接した道である。もう一つは道標㊿の手印に従って高野山別院まで進み、その別院の南東側に接した道である。現在の遍路道は南光坊の南東側をすぐ右折して南西に向かっている。この道を150mほど行くと今治小学校北西角に**邸(南大門3-1-10)があり、その庭に静道道標(51)がある。昭和46年に邸前の道路拡張工事で倒されたものを、道標の施主が先祖であった**家が供養のためと邸内に安置したとのことである<48>。南西にまっすぐに延びた道は、平成2年に高架になったJR線の下をくぐり、明徳高等学校の北西側を通ってさらに南西に直線的に進み、国道196号の手前150mほどで左折して、この道の南東側をまっすぐ南西に延びてきているもう1本の道へ合流して泰山寺に向かう。『愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)』には、この道を遍路道とした地図を載せている<49>。
 高野山別院の南東側を南西に向かう道については、昭和9年(1934年)刊の『同行二人四国遍路たより』に、泰山寺への順路として「高野山別院の門を出て右へ線路を越えて参ります<50>」とある。別院の門は南東側にあり、「右へ」は南西方向を指している。この道は今治駅舎の辺りを越えて今治西高等学校の北西側を通る道に続いている。明治31年(1898年)測図の地形図によると南光坊(別宮山)の南東側を一直線に南西に向かう道があるが、昭和3年(1928年)測図の地形図では、この道は高野山別院の南東側を進む道で、JR線で分断され、迂回して駅裏まで進むようになっている。これらは共に「今治中学」(現今治西高等学校)の北西側で接する道となる。また、両地形図ともに、先述したもう一本の道よりこの道の方が道幅広く描かれており、主要道路であったことを推測させる。『今治街道』では、この道が旧街道であり「遍路道と一致している<51>」と記している。
 遍路道は今治駅裏から今治西高等学校前を通って南西に直進する。1.5kmほどで出合う県道桜井山路線を横切り100mほど進んだ三差路に願主小川の道標(52)がある。さらに100mほど南西進した四つ辻の電柱の横にも、同形で同じ願主の道標(53)がある。ここで北西側から来た前述の道を吸収して、さらに200m足らず南西に進むと国道196号に至る。国道を横切り100mあまり南西に進むと、右側に手形のみを刻む小さな自然石の道標(54)と角柱道標(55)の2基が並び、向かい合うように道の左側にも手形のみの道標(56)がある。国道からわずかに入ったところで、この辺りの道の両側には田畑が残り、西側の山一帯は「市民の森」、それに隣接するのが瀬戸内しまなみ海道の起点今治インターチェンジである。3基の道標から200mほど進むと左側に駐車場があり、道を横切って右側の細い道を50m余進んで石段を上がると泰山寺に至る。細道の入りロにある馬頭観音の前に伊藤萬蔵の建てた道標(57)がある。