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伊予の遍路道(平成13年度)

(2)宝寿寺から吉祥寺へ

 六十二番宝寿寺は一之宮神社の別当寺であり、開創以来たびたび移転してきた寺である。古くは中山川の北側にあったという。延宝7年(1679年)に小松町一本松、現在一之宮神社がある一ノ宮の地に移され、明治維新後、神仏分離令により一時香園寺に合併されたが、明治10年(1877年)あるいは明治11年ともいうが旧に復した。大正12年(1923年)の省線讃予線の開通で境内を線路が通ることとなったため、寺は一之宮神社の境内から線路南側の現在地(宝来町)に移った<33>。
 宝寿寺近くのJR伊予小松駅西の一本松踏切横に、上に地蔵が乗った茂兵衛の円柱道標(54)がある。しかし、JR予讃線の北に位置する一本松地区には、現在道標等も残っておらず、宝寿寺が一ノ宮の地にあった大正時代以前の遍路道は、今となっては定かではない。
 宝寿寺山門を入ると、正面に本堂、右に大師堂、左に納経所、通夜堂、鐘楼などが配置されている。宝寿寺山門の外側に5基の道標がある。山門手前の参道右には前述した道標(53)がある。参道左には、4基の道標(55)~(58)が並んで立っている。一つ目は明治28年(1895年)の道標(55)である。二つ目は円柱の利平道標(56)である。三つ目は横峰寺・香園寺・宝寿寺・吉祥寺への道を示した道標(57)である。四つ目は徳右衛門道標(58)である。さらに宝寿寺境内のソテツの前に、「右一の宮」と刻まれた真念道標(第1章第2節(歯長峠から明石寺へ)の㉕)があったが、現在は宇和町にある愛媛県歴史文化博物館に保管展示されている。
 宝寿寺を打ち終えると遍路道は、山門前を東に100mほど進み、JR伊予小松駅前に立つ道標に従って右折、30mほど南に進むと国道11号交差点に至る。ここを左折して国道を東に進む。また、JR伊予小松駅前を直進し、東に200mほど進むとJR伊予小松駅東踏切があり、踏切の手前線路横に円柱の利平道標(59)がある。道標の指示に従って右折して、60mほど進むと国道と合流し、左折して国道を600mほど進むと、西条市氷見乙竹内の三差路に至る。かつてこの地点に茂兵衛道標(第1章第2節(歯長峠から明石寺へ)の㉖)があったが、現在は宇和町にある愛媛県歴史文化博物館に保管展示されている。さらに200mほど進むと、「吉祥寺 一之宮 御大典記念道」と刻まれた道標(60)がある。この道標は、平成12年年末の歩道橋改修工事の際に上端から50cmくらいのところで折れ、現在は倒れている。東に150mほど進むと国道左手に石灯ろうがあり、そこで左折し、100mほど北に進むと、吉祥寺と宝寿寺を手印で示した茂兵衛道標(61)がある。ここで、右折し60mほど進むと、吉祥寺北門に至る。
 宝寿寺から吉祥寺への道としては、このほかにもJR伊予小松駅から南に進んで、讃岐街道に戻り、東に向かう道もあったと考えられるが、現在この街道上には道標等も残っておらず、遍路道は定かではない。