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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業18ー宇和島市②―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 柑橘栽培

 愛媛県のミカン発祥の地である旧吉田町立間では、江戸時代にすでにミカンの栽培が行なわれていたという記録が残っているが、本格的にミカン栽培が行われるようになったのは明治10年代以降と考えられている。一方で、吉田町の全域で受け入れられていたのが養蚕である。この状況を変えたのが、昭和5年(1930年)に生糸価格の大暴落を引き起こすことになる世界恐慌であった。経済危機克服のために、養蚕業の縮小と桑園の柑橘あるいは水稲への改植が進められていった。戦時中は主食第一主義の生産統制のために柑橘栽培は冷遇されたが、戦後になるとミカン価格の好調とともに生産量は増加していき、吉田町は日本を代表するミカン生産地へと成長していった。
 『吉田町誌』によると、昭和35年(1960年)の吉田町の農地用面積の内訳は田215ha、畑495haに対して、樹園地1,809haであるが、昭和45年(1970年)には田129ha、畑50haに対して樹園地2,220haと変化しており、田畑が樹園地に替わっていったことが見て取れる。一方で、昭和50年(1975年)にミカンの生産量が全国で366万tに達するようになると、生産過剰による価格の暴落が起こった。
 本節では、旧吉田町玉津地区におけるミカン栽培を中心に、昭和の時代の農業とともにあったくらしについて、Aさん(昭和24年生まれ)、Bさん(昭和27年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。