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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業18ー宇和島市②―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 養殖漁業

 愛媛県は日本有数の真珠生産県で、平成21年(2009年)からは10年連続で生産量が全国1位である。養殖真珠の生産のほとんどは宇和海沿岸部で行われており、旧吉田(よしだ)町(現宇和島(うわじま)市)でも法花津湾を中心に真珠生産が盛んであった。
 もともと宇和海では、江戸時代からイワシ網漁業が盛んで、千葉、長崎と並ぶ日本三大イワシ漁場の一つであり、宇和海の沿岸漁業はこのイワシ網によって成立していた。ところが、昭和31年(1956年)を境として、イワシ、アジ、サバの回遊量が激減し、特にマイワシの漁獲が皆無となった。漁業者は大きな打撃を受けて経営困難となり、多数の漁業従事者が生活に困る状況であった。そのような状況の中で、沿岸漁業不振打開策として、真珠母貝養殖が取り上げられた。一方でこのころに、三重県から大手真珠養殖業者が宇和海海域に進出し、昭和32年(1957年)までに18業者が宇和海に進出した。三重県での真珠の密植のため漁場に老化現象が出始めていたことも理由であるが、宇和海の漁船漁業の不振が漁場を開放させたのであった。
 法花津湾では、昭和32年(1957年)に三重県から堀口養殖真珠株式会社が進出し、花組漁場に50万個の稚貝を降ろして以降、真珠養殖業が始まった。その後、急速に法花津湾での真珠養殖業者が増加していった。しかし、昭和42年(1967年)から昭和47年(1972年)まで続いた真珠不況が弱小業者を淘汰していくことになる。
 本節では、旧吉田町玉津地区で行われていた地引網漁とその後の真珠養殖を中心に、昭和の時代の漁業とともにあったくらしについて、Aさん(昭和24年生まれ)から話を聞いた。