明治時代中期以降の大洲(おおず)は製糸工場が相次いで設立され、全国一の品質を誇る「伊予生糸(いと)」の生産地として発展した。肱川の形成した自然堤防上には桑畑が多く開かれ、養蚕業も明治以降、県下の主要産地となっていた。また、大洲特有の気候と、肱川の水質の良さが醸造に適していたことから、古くから醸造業が盛んであった。 本章では、大洲地域で蚕糸業や醸造業に従事した人々の、地域の産業とともにあったくらしや思いについて、その一端を明らかにした。