データベース『えひめの記憶』
えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業27-松野町-(令和6年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)
第2節 吉野の町並み
松野(まつの)町の北東部に位置する吉野の町は吉田藩によって計画的に設定された在町で、市街地の中央は3間(約5.4m)幅の直線道路が通り、1戸の商家は間口4間(約7.2m)、奥行16間(約29m)分で地割されており、江戸時代に土佐藩との取引の基地として栄えたかつての町並みが現在でも残されている。
明治22年(1889年)の町村制の施行によって奥之川・蕨生・吉野の3か村が合併し吉野生(よしのぶ)村が成立したが、村役場が置かれた吉野は明治時代になっても物資の集散地として繁栄した。大正12年(1923年)には宇和島鉄道吉野駅(国有化された際に吉野生駅に改称)が開設され、さらに隆盛を極めたが、昭和28年(1953年)に国鉄宇和島線が江川崎(高知県四万十(しまんと)市)まで延伸されると、通過地となった吉野の繁栄は徐々に下り坂となっていった。また、昭和30年(1955年)に松丸(まつまる)町と吉野生村が合併し松野町が成立したことがそれを助長した。
本節では、昭和20年代から50年代を中心とする吉野の商店街の様子や、地域でのくらしについて、Aさん(昭和11年生まれ)、Bさん(昭和12年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。