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遍路のこころ(平成14年度)

(2)四国八十八ヶ所霊場周辺の新四国②

 (ウ)巡拝路の整備

 御荘新四国の巡拝路は山道が多く、日ごろは住民もあまり通らないことから草木に覆われて歩きにくい所が多い。そのため、縁日前には地域の人々の奉仕作業によって整備されている。その整備の様子について、長年にわたり作業をしてきた御荘町の**さん(大正11年生まれ)と**さん(昭和2年生まれ)に話を聞いた。
 「私は非常勤で、御荘・西海・内海地区の県有林の監守をしてきた。時々、観自在寺から参道の整備を頼まれると、人夫3、4人と一緒に4、5日かけてその整備を行ってきた。私が仕事の関係で草刈り機やチェンソーなどを準備できるので、観自在寺の住職さんも道の整備など仕事を頼みやすかったものと思う。その際、人夫の日当は頂くが、私は大師信仰の立場から奉仕作業をしてきた。この作業では、60番石仏から金刀比羅神社裏の75番石仏の間の山道はシダがよく茂り、倒木も多く作業が大変であった。終戦後から平成に入るまでの約40年間、寺から頼まれると、仕事の合間を縫って人夫と一緒に作業をしてきたが、ある年、お寺に頼まれて各石仏のさい銭をすべて集めると、一升枡(ます)に2杯にもなり、それを水洗いして寺に届けたことがあった。これからも元気な間は、参道の草刈りを手伝っていこうと思う。」
 「平成元年に仲間に誘われて春の縁日に巡拝したのがきっかけで、その年の秋の縁日に一人で巡拝に出掛けたが、何箇所かは道がカヤやシダで覆われて歩けなかった。これではいけないと思い、道の整備を思い立った。春と秋の彼岸前に、4、5日かけて整備を行ってきたが、僧都川の土手に並んでいる石仏はカヤが繁って刈り取りに苦労したが、最近は国土交通省の工事事務所が整備している(写真2-2-25)。長崎地区の24番から27番石仏にかけての山道は狭く、片側ががけになっていて危険である。その他、八幡野地区の45番から46番石仏への谷筋を渡る丸太橋辺りも危険で、お年寄りは45番から逆戻りして44番石仏に戻り、46、47番石仏と巡拝していた。48番石仏からの山道を上るために手製の竹杖(つえ)を15本ほど置き、巡拝者に利用してもらうようにした。また、52番から55番石仏にかけての山道は急な上り坂になっており、雨で山道が荒れたり石仏が傾くこともあったので、巡拝者が倒れた石仏を移動して一か所に3体の本尊と大師像が祀られていたこともあった。松軒山頂上に近い58番石仏付近は昔は見晴らしの良い所であったが、最近は杉や檜(ひのき)が成長して御荘町の市街地が見えなくなってしまった。この付近の山道にはウバメガシやツツジの切株が残っており、ノコや斧(おの)で取り除いたこともあった。尾根道に点在する石仏の中で60番の本尊石仏は1番と同じくらい大きく(写真2-2-26)、印象に残っている。また、和口(わぐち)集落の金刀比羅神社奥の70番から74番石仏にかけての山道は赤土が露出した急な下りの山道なので、段差をつけて歩きやすいようにした。そしてここにも手製の竹杖を15本ほど置いた。私は本四国も巡拝したこともあり、大師信仰で参道の整備をやってきている。」

 (エ)御荘新四国の巡拝

 御荘新四国を太平洋戦争後ころから毎年巡拝しているという御荘町の**さん(大正15年生まれ)に、昔と現在の御荘新四国の様子を聞いた。
 「私は、祖母が地域の地蔵さんを何時間もかけてお参りする姿を見たり、最初に授かった子を早産で亡くした折に、祖母に一心に仏を拝むように勧められたりして、御荘新四国を巡拝したことがありました。また、私の義母も大変信心深く、御荘町節崎(ふっさき)から観自在寺をお参りし、御荘新四国を巡拝しており、私も義母に連れられて巡拝するようになりました。また義母は、春になると仲間を誘って高光村(現宇和島市)の「高光地四国」にもよくお参りに行っていました。家族に丈夫なわら草履を3足も作ってもらい、御荘村(現御荘町)長崎から夜、船で出発し、早朝宇和島市に着いて「高光地四国」を巡拝し、市内見物をしたあと、夜また船で帰ってきていました。
 御荘新四国は、昔は、観自在寺の参道にある2番石仏から節崎地区の3番石仏やその他いくつかの石仏を経て馬瀬(うませ)地区に下り、そこから長崎地区の21番の石仏へと巡拝経路ができていました。本家の祖父が施主になっている3番石仏やその他いくつかの石仏は現在、僧都川の土手に移設されていて巡拝経路は短くなっています。その後、44番の石仏から山道にさしかかり、60番代の石仏が続く見晴らしのいい峠で昼弁当を食べた後、70番から75番の急な坂道を下って金刀比羅神社裏にたどり着き、その後、観自在寺まで戻っていました(写真2-2-27)。私も、春の縁日前にはお地蔵さん(石仏)周辺の掃除をして、おさい銭を集めてお寺に持参したり、風雨で散乱した納札を整理したりしていますが、その折に、和口や平城(ひらじょう)の方々は草刈り機を持って山道の整備をされています。昔は、春の縁日には周辺地域から船を仕立ててお参りに来ていました。現在はバスで来ていますが、お寺を参拝したあと、新四国を巡拝する習慣は今も続いています。私も、春と秋の縁日に御荘新四国を巡拝し、野鳥の声を聞きながら山道を歩いて、元気に過ごせることをありがたいと思っています。」

写真2-2-25 僧都川堤防の5番石仏

写真2-2-25 僧都川堤防の5番石仏

平成14年11月撮影

写真2-2-26 屋根道に立つ60番石仏

写真2-2-26 屋根道に立つ60番石仏

平成14年11月撮影

写真2-2-27 巡拝路から御荘町を望む

写真2-2-27 巡拝路から御荘町を望む

金刀比羅神社を下った辺りからの眺め。平成14年11月撮影