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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)お田植まつり

 お田植まつりの一例として東宇和(ひがしうわ)郡城川(しろかわ)町土居(どい)地区の「御田植祭(おんだまつり)」(別名どろんこ祭り)を取り上げる。城川町は県の南西部、東宇和郡の東部にあり、高知県檮原(ゆすはら)町と接し“奥伊予”と呼ばれる。土居地区はほぼ町の中央部にあり“どろんこ祭り”として有名な「御田植祭」は、三島神社の神田で行われる南予(なんよ)地域唯一のお田植まつりで、7月の第1日曜日に盛大に行われ、県内外からの観光客も多い。
 『愛媛県史 民俗上』によると、「三間(みま)町出身の高月兵太郎が、明治13年(1880年)当地に養子(ようし)に来、小田原徳次郎らと図(はか)って始めたのが最初で、明治14、5年頃からとされる。一時中絶したこともあったが、昭和41年(1966年)より地元青年団が主催して6年振りに復活することになり、以来現在に至っている。(中略)ともかくこの御田植祭は、ここ百年程の歴史しか持っておらぬが、南予における唯一の御田植祭であり、かつ南予風な御田植祭の一タイプを伝えているものとして注目されるのである。現在では大三島(おおみしま)町の大山祇(おおやまづみ)神社と城川町土居の三島神社の御田植祭が盛大に行われているだけである。同じ御田植祭といっても南予地域の御田植祭の特色は和霊神社のそれが代表するごとく、牛による代かきと、ばんばおろしであろう。ばんばおろしは三番(さんば)おろしといっている所もあるが、三番そうによる滑稽劇(こっけいげき)である。村落共同体の慰安と豊作祈願がこめられているところに特色がある。特に泥打ちは南予特有の民俗となっており興味深いのである。これに対し、大山祇神社の御田植祭は予祝(よしゅく)的、年占(としうらない)的性格が強いのが特色といえるであろう。(⑫)」とある。
 さらに、『愛媛県の民俗芸能』には、「昭和40年頃から、ラジオやテレビの取材が始まり、一躍マスコミでも報道されるようになった。昭和50年には、NHKの番組で放送され、その頃からNHKの名付けで『どろんこ祭り』として全国に知られるようになった。(⑬)」と記してある。
 土居地区の**さん(昭和4年生まれ)は、『愛媛の祭り』の中で、お祭の楽しみとご馳走(ちぞう)について次のように記している。
 「祭りの内容は、今も昔もほとんど変わっていません。ただ大きく違う点は、昔は地域だけの祭りだったのです。昔は田植えの時に、各農家では、田んぼにクリの木とカキの木を立ててサンバイサマ(*3)をお祭りし、おこわとしばもち(サンキライの葉にくるんで蒸したもち)をお供えして豊作を祈願したものです。一番楽しかったことは、平生(へいぜい)はごちそうなんか食べられなかったところでしたから、この日に限ってしばもち、おこわ、うどん、そうめんなどの夏向きのごちそうがたくさん食べられることでした。(⑭)」
 次に、同じく土居地区の**さん(大正15年生まれ)に、御田植祭の食について聞いた。
 「小麦を粉に挽(ひ)き、麺棒(めんぼう)で延ばした手打ちのうどん、だしはいりこがないので、焼いて保存している川魚のアユやハヤを使いました。そのほか、あんこを米粉や小麦粉の皮でくるみ、炭酸を入れセイロで蒸(む)したしば餅、もち米とアズキを蒸したおこわ、野菜やシイタケを具に入れたばらずし(ちらしずし)、サツマイモや野菜を揚げたフライなどを作りました。食用油は貴重品だったので、どの家でもフライを作ったものではありません。普段のくらしは、質素で粗末なものでしたが、もん日には、普段は食べられない米のご飯のご馳走が出て、子どもたちははしゃいでいました。」


*3:サンバイサマ 田の神。田植えにあたって降臨し、稲の生育を司る稲霊。