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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)年祝いと厄年

 人の生涯で特定の年齢を祝ったり、あるいは災厄の多い年齢として忌み慎んだりする習俗がある。前者を年祝い、後者を厄年といっている。年祝いの年齢は地域や時代によって異なる。『日本民俗大辞典』・『日本民俗学講座 社会伝承』などを参考に、年祝いの年齢(数え年)を挙げると、男は2歳(初誕生)・5歳・15歳・25歳・42歳・61歳(還暦)・70歳(古稀(こき))・77歳(喜寿)・88歳(米寿)・90歳(卒寿)・99歳(白寿)・100歳(百祝(ひゃくいわ)い)・108歳(茶寿)などになる。女は、2歳(初誕生)・3歳・7歳・13歳・19歳・33歳で、61歳からは男女とも同じである(①⑫)。
 この年祝いの年齢の幾つかが厄年と考えられているが、61歳などは地域によって厄年であったり年祝いであったりする。また、北宇和(きたうわ)郡津島(つしま)町曽根(そね)地区や西宇和(にしうわ)郡三瓶(みかめ)町鴫山(しぎやま)地区では、厄年を「年賀に当たっている。」と表現する。厄なのかお祝いなのか、この辺りの事情を『日本民俗大辞典』は、「厄年を生命力の衰退の年と受け取るか生命力の更新の年と受け取るかによって厄年と年祝いの性質を持つことになり、それぞれの地域によって厄年・年祝い・厄年祝いという名称が用いられている。(①)」と記す。このように年祝いと厄年は、その区別がはっきりせず、むしろ表裏一体のものと考えられている。
 これらの年齢が、何に基づいて決まっているのかもはっきりしない。陰陽道が説く厄年との重複、干支(えと)の年男・年女との重複などから、それらを根拠とする説もある。一方で、大厄とされる33歳や42歳は、「さんざん」・「死に」など陰陽道や干支に関係なく、語ろ合わせだと考えられている。
 厄を落とす方法はいろいろある。『愛媛県史 民俗下』は、寺社への参詣(さんけい)で厄を落とす方法、節分の時、豆やお金などを捨てて厄を落とす方法、弓祈禱(ゆみきとう)・神楽・伊勢踊りなどで厄を落とす方法、帯など厄除けの品を贈って厄落としをする方法などを挙げ(③)、『愛媛県歴史文化博物館 研究紀要 第8号』は、この他に近親者や近所の者を集めて祝宴を開く方法などを紹介している(⑬)。ここでは食を中心に、大盤振る舞いの祝宴をする厄落としを見ていく。