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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(2)記憶でたどるえひめの装い

 本書『平成から昭和へ、記憶でたどる原風景 えひめ、その装いとくらし』は、戦後の近代化の進展につれて徐々に衰退した伝統的な装いの文化に焦点を当て、昔の愛媛の人々は何を着てきたのか、また、装いの文化を作り支える技や道具にはどのようなものがあったのかを調査し、昔の人々が生活の中で脈々と形成してきたすばらしい知恵や暮らしぶりを明らかにしようとするものである。生活者の生の声を大切にした聞き取りを重視し、昭和を生き抜いた人々の暮らしに学ぶという視点から調査・編集した。
 装いの文化は、まず糸を紡ぎ、布を製作することから始まる。そこで本書では、第1章を「生業(なりわい)としての装い」と題して、紡ぐ、染める・織る、仕立てる、商う、支えることにかかわってきた人々の思いや暮らしぶりをたどった。かつて愛媛県は、前述の伊予絣のみならず、生糸や合成繊維の生産量において全国上位を占めていた。また、今治地域で生産されるタオルは、特産品として現在も生産されている。まず、第1節「装いを生み出す」では、愛媛の繊維産業にかかわった人々の思いやその暮らしぶり、伝えられてきた生活の知恵などをまとめた。
 繊維産業関係者の手によって生み出された布は、呉服商や洋装店、行商人などの手をへて消費者に届けられた。高度経済成長期以前の日本では、個人が着用する衣服は、洋裁技術を修得して自分で制作するか、近隣の洋装店へ注文するのが一般的であった。現在のように上から下まですべての品揃(しなぞろ)えがなされた既製服を扱う衣料品店は存在しなかったので、洋服の裁縫について学ぶ洋裁学校や衣服の修繕を行うかけはぎ業なども多数あった。そこで、第2節では「装いを商う」と題して、紳士服やきものの仕立てを生業とした人々、呉服や洋服生地の行商や呉服販売を生業とした人々、洋裁学校の指導者、貸衣装業者、かけはぎ業を生業とした人々の暮らしの変遷や思いを取り上げた。
 『愛媛県史 民俗上』によると本県では、高度経済成長期以前の日々の衣生活において、晴れ着と普段着・仕事着の区別はきわめてはっきりしたものであり、衣服の中にもハレとケの生活のリズムが存在するのが、伝統的な衣生活であったという。そこで、第2章では「くらしの中の装い」というテーマで、高度経済成長期以前のハレの日とケの日の装い、その際に着装されたかぶりものや履物などの伝統的な装いについてたどった。
 まちやむら、むらの中でも平野部、海岸部、山間部といった生活環境や職種の違いによってさまざまな仕事着が作り伝えられてきた。また、前述したように日本では50年程前までは、糸を紡ぎ布を織り、衣服を作り、これを維持することは、女性のたしなみとされていた。第1節「普段の日に」では、普段着と仕事着の変遷と暮らしとのかかわり、綿織物と絹織物を自家制作していた人々の技術や思い、衣類の洗い張りや再生・再利用などの使い切る知恵と技、県西部の佐田岬(さだみさき)半島の家庭で織られ、仕事着として伝えられてきた裂織りなどを取り上げ、その暮らしぶりや生活の知恵などをまとめた。
 人は、その営みの折々でハレの日を迎えることが幾度となくあり、それはたとえば、年中行事の日、人生儀礼の日、あるいはその他の非日常的な行事を経験する日である。このような1年や人生の節目に当たって、人は特別に作られた衣服を身に着け、自他ともにそれぞれの節目を確認してきた。第2節「特別な日に」では、1年の周期で巡って来る年中行事の日(正月、盆踊り、祭りなど)に身につける特色ある装い、誕生、節句、成人式、結婚式など人生の節目に身を包む装い、文楽や村芝居などの地域的芸能イベントが行われるときに、それを演じる人々が身を包む特別な衣装と見物の人々が着るせいいっぱいのよそいきなどについて県下各地で聞き取り、関係者の思いとともにまとめた。
 装いは衣類に限らない。履物、かぶり物、包む物、それぞれがその時、その場合に応じて衣類とともに変化する。かつては、これらの装いにまつわる生活用品すべてに、正式の場・普段の場などの衣類に応じるものが作られ使われていた。第3節「広がる装い」では、高度経済成長期以前に使用されていたかぶる、履く、寝る、包む装いに関する生活用品を取り上げた。かぶり物でも、中折れ帽やパナマ帽をかぶるのは、一人前の大人の証(あかし)であり、衣類が正式の場合にのみ用いられたのである。履物でも、普段はわら草履であったが、街に映画を見に行くときには小ぎれいなきものに着替え下駄を履いて出かけた。包み・運ぶ道具である風呂敷(ふろしき)は、行商では木綿の大風呂敷が工夫され、絹の風呂敷はふくさに準じた。ふくさは、品物の上に掛けることによって、俗界と区画された清浄な空間を生み出すものであり、それを持つ人の装いが変化するのは当然のことである。本節では、このような生活用品の生産者と消費者に聞き取りを行い、その変遷とかかわった人々の思いを探った。
 第3章「あのころの装い、そして今」は、「カーキ色のころ」、「あのころの制服」、「多様化する装い」から成っている。本書の調査対象である高度経済成長期以前の昭和という時代においては、昭和16年から始まる太平洋戦争が非常に大きな意味を持っている。国をあげて戦時体制への協力を余儀なくされ、「欲しがりません勝つまでは」をスローガンとして、衣・食をはじめ生活全般にわたって規制を受けた時代であった。この時期の不自由な衣生活を中心とした社会状況や焼け跡の中で懸命に生きた人々の思いを「カーキ色のころ」としてまとめた。
 また、人は一生の中で一定の期間必ず学校生活を体験し、制服と呼ばれるものに身を包むことも多い。真新しい制服に袖を通し、新生活への一歩を踏み出したときの希望や期待、不安や戸惑いが入り混じった体験を共有している。また、制服は世相に大きく左右され、戦時下や戦後の混乱期には、カーキ色の国民服やへちま襟ともんぺの暗い時代もあった。しかし、近年、その懐かしい制服も社会情勢や生徒の要望などを反映して、平成期になり大きく改定されている。そこで、調査対象として旧制中学校と旧制女学校から新制高等学校になった県立と私立学校の制服に着目し、制服の変遷と世相とのかかわりや制服への思いを、「あのころの制服」としてまとめた。
 最後に、「多様化する装い」というテーマで、近年の高等学校の制服事情や多様化する装いを世相とのかかわりから概観した。