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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(2)裂織りの継承にかける

 裂織りの分布について、『三崎の文化財』には、「裂織りの分布は、佐田岬半島(三崎(みさき)町・瀬戸町・伊方町)のほか、隠岐(おき)から中国山地の日本海沿岸、丹後(たんご)、能登(のと)半島、佐渡(さど)や東北地方に及んでいたと言われますが、それでも全国的には限られた地域であり、大変特色ある織物の一つです。(⑫)」とある。
 西宇和郡三崎町二名津(ふたなづ)地区に住み、「佐田岬裂織り保存会」代表の**さん(昭和14年生まれ)に、裂織りと暮らしとのかかわりや裂織りに対する思い、技術の継承などについて聞いた。
 二名津地区は、伊予灘に面し、佐田岬半島の西部の伊予灘側に位置する。農家が多く、高級晩柑(ばんかん)や清見タンゴールなどの柑橘の栽培が盛んである。
 「私は三崎町二名津地区の農家に生まれ育ちました。二名津国民学校1年生のとき終戦を迎えましたが、山畑に麦やサツマイモを栽培し、家族総出で農作業に当たりました。傾斜地で荷車(荷物を運搬する車)などが使えないため、肥料や収穫した農産物は“担籠(かるいかご)”や“負いこ”(写真2-1-26参照)で背負って運搬しました。そのときには裂織りの“オリコ”を着ました。
 裂織りで織った布は仕事着として上着や帯に用いられ、上着は袖付きと袖なしの2種類があります。生地が厚くて風を通しにくく暖かいので、寒い時期の麦踏みに使用したり、山へ薪をとりに行くときには袖のあるものが重宝しました。
 呼称は地域により異なりますが、三崎町の名取(なとり)・平礒(ひらいそ)・釜木(かまき)地区では“ツヅレ”と呼び、他の地区は“オリコ”と呼んでいます。
 私の小さいころ、我が家にも機織の道具が残っていたのを覚えています。以前には多くの家に機があり、自家用に織っていたようです。また、かつては漁業の盛んなところで、経糸に木綿や麻などのほかに網糸を藍や柿渋で染色したものが用いられたり、緯糸には古くなったきものや布団布、端切れなど不要になったものが使われました。
 先人の物を大切に扱い、捨てないで最後まで使い切る勘弁(物事をうまくやりくりすること)な心がこの織物を生み出したと考えられます。昭和30年(1955年)ころになると二名津地区には織る人がいなくなりましたが、宇和海側の名取地区では昭和40年ころまで織って着ていました。
 オリコは形や色の配色、縫製の仕方が決まっており、上部を藍色に、下部を白色に織るのが一般的です。上部を灰色、中部を藍色、下部を白色の3色に織ったものもあり、襟は紺か黒色でした。しかし帯は決まりがなく、色もカラフルで、仕事着のほかにも普段着や浴衣の帯として使用されました。袖の長いものは漁師が使用し、潜って漁をした後、船に上がって休むときなどに寒さを避けるため頭から被(かぶ)って着ていました。また、敷物や雨具としても使われましたが、三崎町では夜具には綿入れのどてらを使い、オリコは使用しませんでした。
 子どもがある年齢に達すると、担籠・負いこ・オリコを作ってもらい仕事を手伝いましたが、これらは3点セットでした。オリコはどこの家族も一人1枚ずつは持っていましたが、私はお祭り用と仕事用の2枚持っていました。子どもは外で凧揚(たこあ)げや“めんがり”(地面にクギを立てて遊ぶ遊び)をして遊んだり、小鳥を追って山に入るときなどにもオリコか胴服(胴着のこと)を着用しました。また、オリコは過酷な労働の手伝いに使用したため苦しかった記憶が多いですが、3月や5月の節句では、母親が弁当を作って花見や浜遊びなどをさせてくれ、苦しいばかりでなく楽しい思い出も多く残っています。
 私は平成7年(1995年)から、三崎町でかつて使用されていた民俗資料の収集に当たっております。収集物の中に裂織りのオリコも含まれていました。このころから裂織りの素朴さと独特の風合いに魅せられ、定年退職後も収集を続けています。
 近年、裂織りが注目されるようになり、改めて先祖の物を大切にする精神や裂織りのすばらしさを知ることができました。是非この技術を残し継承したいと思うようになり、平成14年(2002年)7月、三崎町に「佐田岬裂織り保存会」を結成しました。
 保存会の拠点となる場所は、三崎湾に面する廃校になった三崎町立大佐田(おおさだ)小学校で、「三崎オリコの里」(写真2-1-27参照)と命名し、現在男性2名、女性6名の保存会の会員が、裂織りの継承と自分の趣味を兼ねてテーブルセンターや前掛け、手提げバッグなどを織っています。織機は当初の2台と平成15、16年に購入した新機3台、古い高機(たかばた)を修理復元した1台の計6台です。昨年1年間は会員の技術の習得や向上を図ることを重点目標にしてきましたが、今後は裂織り体験者を募って広く技術の継承に努めるとともに、新しい作品の開発にも力を入れていきたいと考えています。」


写真2-1-26 担籠と負いこ

写真2-1-26 担籠と負いこ

西宇和郡三崎町大佐田。平成16年7月撮影

写真2-1-27 三崎オリコの里

写真2-1-27 三崎オリコの里

西宇和郡三崎町大佐田。平成16年7月撮影