データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(3)蚊帳

 蚊帳(かや)の歴史も古く、古代には中国から絹製の蚊帳が伝わり、上流階級で使用された。一般化したのは中世で、近世になると商品化が進み、奈良や近江(おうみ)(現滋賀県)に産地が生まれた。やがて、行商によって麻製の近江蚊帳が全国に販路を拡大した。形も、かつて竿(さお)につるしていたものが綱になり、四隅に環(わ)のつり手をつける物となった。蚊帳の色も、もえぎ色(青と黄色の中間色)で縁をあかね色(暗赤色)に染めたものが一般化していった。主婦が1帖の蚊帳を作ることは、男が家を建てることに匹敵したという(①)。
 平成16年に愛媛県の各市町村教育委員会と老人クラブを対象として、愛媛県生涯学習センターが実施したアンケートの結果では、自家製作の蚊帳を作っているのを見たことがあるという回答が幾つかあり、各地の聞きとりでもタイマ(アサ)で織っていた、普通の布のときとは織る音が違ったなどの話があった。
 ただ、織った経験をもつ人には出会えず、自家製の蚊帳を使った経験のある西予(せいよ)市野村(のむら)町野村の**さん(昭和5年生まれ)と、蚊帳の販売に携わった**さんに話を聞いた。
 **さんは、「私の祖母が作った蚊帳だろうと思うんですが、母が嫁入りするときに持って来て、私が嫁入りするときに母が『あんたにあげらい。』と言うので、それを持って嫁入りしました。母や夫の祖母から聞いたんですが、“オ”(アサの古名)を紡いで織り、縫うときには5、6人が集まって一緒に縫い上げたということでした。オをどのようにして紡いだのか分かりませんが、おそらく並幅(なみはば)に織ったものを親戚内(しんせきうち)の人たちが集まって縫ったのだろうと思います。何人かが一緒に縫うのは、おそらく一人で縫うとなると何日もかかったからでしょう。縦を縫う者がいる、横を縫う者がいるで、一気に仕上げたんだろうと思います。」と話す。『日本民俗学大系』によると、「縫い上げには多数の婦人の力を借りて1日に仕上げて蚊帳祭をする。1日に縫った蚊帳は幽霊が入らぬという。(①)」としている。**さんが1日で仕上げたという話も、この理由によるのかもしれない。
 **さんは、「自家製蚊帳は、つり手は四隅で、つり手がつく部分に模様が付いていました。4畳半の大きさの蚊帳です。麻は重いですから、大きな蚊帳は無理だったのかもしれません。高さは、蚊帳の中で大人が十分立てるほどで、すそは多少たるませて使いますから、180cmくらいはあったと思います。色は緑色で、天井部分の縁取りは真っ赤な布で作っていました。きれいだし、麻独特の香りがあって好きでした。ちゃんと使えば、虫も食わず何代も保ちますよ。昔は、蚊帳の染色をしないかという注文取りもこの地域まで来ていました。けれども、麻蚊帳は重いし、折り畳んでも化繊の蚊帳の何倍もの大きさになるし、何度か転居するうちに邪魔になってきたので里に返してしまいました。
 『麻の蚊帳には雷が落ちない』と伝えられていて、子どものころには、雷が鳴ると急いで蚊帳をつってもらって逃げ込んでいました。
 私たちの子どものころは、カ(蚊)がたくさんいました。蚊帳にはいるときには、蚊帳のすそをバサバサッとやって周りのカを追い払ってから、すっと入らないといけないといわれていました。それでも蚊帳に入ると安心できました。しかし、炊事場で仕事をするときは大変で、よく蚊遣(かや)り(カやブユを追い払うために煙をだすもの)としてぶうそ(トウモロコシの実の芯(しん))を使っていました。私らの所では、餅用や食用のトウモロコシをよく作っていましたから、ぶうそはたくさんありました。蚊遣りはぶうそかヨモギの干したものでした。これを火鉢に入れ、くすぼらせていました。炊事場の外では、納屋、いろり端、軒下で使っていました。祖母のころには蚊取り線香なんか使っていませんでしたからね。
 化繊の蚊帳は、上は白で下は青のぼかしになっていました。6畳の大きさの蚊帳ですと、つり手が四隅だけでなく長い方の縁にもう一つずつつり手があって全部で6個ありました。途中で垂れ下がるからでしょう。このつり手を、部屋の6か所に取り付けている紐(ひも)に結びつけてつっていました。つり手のそれぞれには縫い糸で模様がありました。補強の意味もあったのでしょう。この蚊帳の外に、子ども用に昼寝蚊帳というのがありました。子どもを寝かすための蚊帳で、ちょうど食卓に並べた食品にかぶせるような形をして、それよりやや大きなものです。キンギョやトンボの絵が描いてあったりしました。これは、昼寝用ですから、カよりハエを避ける意味の方が大きかったです。」と話す。
 蚊帳の材料や利点、欠点について**さんに聞いた。「蚊帳も戦前から置いています。材質は、麻・片麻(綿を経糸(たていと)、麻を緯糸(よこいと)にしたもの)・綿でした。麻は重いんです。だからつったときにはサラーッと垂れます。当然、蚊帳は窓を開けて使うものですが、重い麻でしたら少々の風が吹いてもびくともしません。風もよく通します。その代わり高価でした。本麻だと値が張るので、片麻といって綿と麻を混ぜた蚊帳もありました。綿は、風が吹くと風を通すというより自分自身が揺れてしまいます。それに、綿は仕舞うときに気をつけないと、くしゃくしゃになります。片麻もそうでした。本麻はそれほどではないですね。重いこと、値が高いことを除けば、やはり麻は一級品だったんです。
 戦後作られた蚊帳はテトロンの蚊帳です。高度経済成長が始まって蚊帳がほとんど使われなくなるまでの短い期間でした。この蚊帳は、すそが青のぼかしで上が白という配色、軽さ、値段などに人気がありました。それに、蚊帳の中から外のテレビ画面が見えます。テトロンは綿や麻とは違い繊維に毛羽立ちやつぶつぶがないからです。その代わり、綿や麻は特別な力を加えない限り、蚊帳の目がずれたりはしません。テトロンは、目がずれやすい欠点を補うために、特殊なからみ織りという織り方をしています。また、軽いのは先ほどのように欠陥でもありますから、今の蚊帳はすそに10cmくらい布を縫いつけて重くしています。もう一つの欠陥は、熱に弱いんです。裸電球にくっついたらすぐチリチリになっていました。最近は、裸電球も少なくなりましたが、蚊帳も年に2、3帖ぐらいしか売れなくなりました。若いころは、竹藪(たけやぶ)の多い地域に持って行くとよく売れるといっていました。現在(平成16年)は蚊帳を作る業者もほとんど廃業で、うちも少し置いていますが、もう注文生産の時代です。高度経済成長期ころから、蚊取り線香も普及し、網戸も完備され、エアコンも出来て、蚊帳の需要は激減しました。
 『子どもが蚊帳を引っ張って目がずれて』と修理の依頼はありましたが、蚊帳の修理はしていませんでした。それで、製造元に蚊帳の切れっ端を頼むと無料で分けてくれました。お客さんに差し上げると、『きれいに治った。』と喜んでもらった経験があります。」