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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

4 記憶でたどるえひめの住まい

 本書『平成から昭和へ、記憶でたどる原風景 えひめ、その住まいとくらし』は、戦後の近代化の進展につれて日々のくらしの舞台である住まいやそこでの住まい方がどのように変化し、また徐々に衰退した住まいにかかわる伝統的な地域文化や、住まいづくりに携わる職人の技術とはどのようなものであったのかについて調査を行い、昔の愛媛の人々が生活の中で脈々と形成してきたすばらしい知恵やくらしぶりを明らかにしようとするものである。調査・編集にあたっては、昭和を生き抜いた人々のくらしに学ぶという視点で、生活者の生の声を大切にした聞き取りを重視した。 
 第1章「家を建てる」は、「家づくり-そのはじまり」、「家づくり-その半ば」、「家づくり-その仕上がり」から成っている。ここでは、昭和の初めから高度経済成長が始まるころまでの時期にかけて、家を建てることに携わった人々から、「着工」「建前」「竣工(しゅんこう)」などの各工程について、それぞれの作業にかかわるさまざまな人間模様などについて聞き取り、時代背景や移り変わりをたどった。まず「家づくり-そのはじまり」では、熟練した技術と心意気とを兼ね備えた大工職人たちによって作り出された伝統的な木造建築の住まいについて探るとともに、彼らが大工として歩み始めた修行時代の厳しさや充実感についてまとめた。そして、「家づくり-その半ば」では、近隣から多くの人々が集まる「餅撒(もちま)き」で知られる上棟祭(建前)を通した棟梁(とうりょう)と施主の思いをたどった。また、現在では全国でわずかに2か所となった「達磨窯(だるまがま)」での瓦(かわら)の焼成を受け継ぐ瓦職人や、風雨や積雪をものともぜず、歳月を経ても美しさを保ち続ける瓦屋根を葺(ふ)き、手間と時間を十分にかけて土壁を塗ってきた左官(さかん)職人の思いについてまとめた。最後に、「家づくり-その仕上がり」として住まいの内部のしつらえである建具や畳を作り出す職人の心意気や、愛媛県の南予(県南部)と東予(県東部)にみられる住宅や土蔵の妻壁などに描かれた鏝絵(こてえ)の調査と保存の取り組みについて取り上げるとともに、施主の思いを大切に受け入れた棟梁の住まいづくりについてまとめた。
 第2章「くらしの中の住まい」は、第1節「むらのくらし」、第2節「まちのくらし」、第3節「うみべのくらし」から成っている。ここでは、県内各地域に見られる伝統的な住まいやその間取りを探り、生業とのかかわりから住まいに設けられた仕事場の空間や、日常生活を営む生活空間などについて関係者の思いを探った。
 第1節「むらのくらし」では、農林業を営む人々の住まいとくらしを、「生業」、「屋敷構え」、「母屋」に区分して探った。「生業」では愛媛における林業、果樹栽培、水稲耕作、養蚕などの各種の生業を取り上げた。「屋敷構え」ではどの住まいにも共通するものとして、ヒノリバ(ヒノラ、ヒノリワ)と呼ばれる主に穀類を干す広場や広い土間を持っていたことが明らかになり、そのことから生業を問わず、日本の農家の屋敷構えには水稲耕作が大きく影響していることが浮かび上がってきた。また、ほとんどの家で隠居や納屋にあたる建物の所有がみられ、養蚕の経験もあり、農家の屋敷構えが母屋以外の建物でもバラエティに富んだものとなっていることが明らかとなった。
 そして、「母屋」では、家族の1日、1年、一生に視点を置きながらくらしを探り、カマヤと呼ばれた台所やイロリのあった茶の間をはじめ、カヤ葺(ぶき)屋根の葺(ふ)き替えや電気が引かれる以前のランプの生活など、かつての住まいとくらしの様子を関係者の思いとともにまとめた。ここでは地域や生業ごとで住まいやくらしには異なる点がみられるものの、わら打ち道具をはじめとして微妙に異なりながらも同じことが生業にかかわりなくいずれの住まいでも行われていたことが明らかになった。
 第2節「まちのくらし」は、商業や工業を生業とする人々が集住し形成されてきた「まち」の住まいとくらしを、仕事場と家族が生活する場が併存している「職住一体の住まい」と、「職住が分離した住まい」とに区分して探った。
 「職住一体の住まい」では、屋敷の表通りに面した部分に商売をする「ミセ」や作業場の空間があり、その奥に家族が生活をする空間が設けられている住まいが典型とされるが、今回の調査によりそれぞれの住まいの屋敷取りや間取りは、立地する「まち」の性質や生業の種類により多様で、異なっていることが明らかになった。また、生業とともに歩んだ日々を住まいの1日、1年、一生の視点で聞き取り、今日では見られなくなった自宅での婚礼や出産、年中行事などを取り上げ、居住者の思いとともにまとめた。
 また、「職住が分離した住まい」では、第2次大戦後の住宅難解消のため県内各地に多数建設された公営の集合住宅と、工業都市新居浜に形成された県内最大の社宅群を取り上げた。これらの成立事情や変遷を概観するとともに、公営の集合住宅や社宅ならではの設備や間取り、そして共同利用施設や親睦(しんぼく)を図るための諸行事などを取り上げ、住民たちがどのようにして住み心地の良い地域社会を形成していたのかについてまとめた。また、松山市の学生街における下宿屋や昨今の学生マンションについてもたどった。
 第3節「うみべのくらし」は、海とかかわりながら生活してきた人々の住まいとくらしについて、「島しょ部」と「海に面した陸地部」とに区分して探っている。「島しょ部」では、半農半漁の生活を営みながら、知恵と行動力でたくましく生き抜いた島の人々の思いをたどった。また、「海に面した陸地部」では、いわし漁に従事した人々の住まいとくらしについて焦点をあて、漁師たちの習俗や、漁期にあわせて他地域や他島に移住し形成された「季節的移住集落」などを取り上げ、関係した人々の思いを探った。そして、漁家をたばねた網元の住まいとくらしや、水の確保が困難な半島部や北からの強い季節風を避けるために防風・防潮石垣を築き、特色ある住まいを出現させた地域への聞き取りから、厳しい自然と向き合いながら生きた人々の生活をたどった。
 第3章は「あのころ、そして今」と題して、「集う」、「学ぶ」、「守り伝える」から成っている。「集う」では、本書の調査対象である高度成長期以前のえひめ地域において、人々が集い、心を潤した劇場や映画館、そして相互扶助で運営される共同風呂(ぶろ)にかかわった人々の思いやくらしとのかかわりなどを探った。「学ぶ」では、児童や生徒の成長を見守った懐かしい木造校舎の学校を取り上げ、教室や施設などの空間からよみがえってくる思いを綴(つづ)った。また、地域社会の学びの場として活用されていた空間についても探った。最後に「守り伝える」では、村並保存や町並み保存をキーワードに、古民家の魅力を引き出し、その保存と再生を通じて地域社会の活性化をめざす人々の思いや取り組みをまとめ、平成16年に開催された「えひめ町並博2004」についても取り上げた。