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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(2)木造建築の構造

 ア 木を生かして

 **さん(西条(さいじょう)市新市(しんいち) 昭和8年生まれ)は、社会人活用事業の一環として、愛媛県立東予高等学校で「大工仕事の実際」というテーマで、生徒たちにプロの業(わざ)を伝え、心得を話している。今までに生徒とともに、錦帯橋(きんたいばし)の模型製作、東屋(あづまや)の建築、竹釘(くぎ)を使った書類箱の製作などを行っている。**さんは木造建築の構造と木の使い方について、次のように話した。
 「以前の木造建築の和小屋の棟木を支える梁(はり)は、継ぎ手は無用で、12mくらいまでは大きい通り物で棟と同じ長さです。手斧(ちょうな)で削った梁の上がり下がりの水平を示す部分には「水」と書いてあります。これは鉛直(重力の方向)や水平の荷重に耐えますように、また火事が起きませんようにという願いが込められています。そして鴨居も大きく、貫(ぬき)もしっかりしています。半ラーメン(接点が変形しにくい鉄筋コンクリートなどの骨組み)的な構造になっているわけです。土壁は耐力壁に直して、水平の力に対応します。ホゾにしても、今はホゾが短いので、鎹(かすがい)を打ったり、筋交(すじか)いを入れたりします。昔のホゾは長いからコネ(靱性(じんせい))があって、がっちり組んだら、ラーメン構造になっているわけです。鉄骨のラーメンではありませんが、半ラーメンといえるのです。
 今の家はピン(筋交いなどの補強材を使う骨組み)でしていて、筋交いや火打材(水平面に入れる補強材)の考えで組んでいるから、ホゾも短い、継ぎ手も悪い。たとえて言えば、筋交いが親父さんとすれば、親父さんばっかりが、あっちでもこっちでもがんばっているわけです。それに比べて昔の木造建築は、親父さんが大黒柱で、そこへ家族が四方からさし寄って来て、みんなで持ち合っているわけです。今の建て方は世相にも似ていて、親父さんががんばって、あとは知らん顔をしているのです。私は古い人間で、短いホゾは嫌いで、長いホゾを使いたいのです。ある大学の先生も、『昔の木造建築は半ラーメン的なものだ。』と言っておられ、私も気を強くしているのです。
 木造建築については、有名な宮大工西岡常一棟梁(1908~1995、法隆寺の棟梁、薬師寺西塔の再建にも携わった。)をよく思い出します。ふとしたことで、奈良で一緒に仕事をするようになりましたが、あれほどの人だとは初めは知らなかったのです。学者とは違う考えを持たれていました。昔の飛鳥(あすか)、白鳳(はくほう)、天平(てんぴょう)期の建築を調べるのは難しいらしいのです。最近のように一定の木を使っているわけではなく、割った木やまっすぐでない木など色々な木を使って、寸法的なものは多少違っても適当に組んでいったりしているのです。その方が効率的なのです。多少大きくても無理に削ったりせず、木の姿や木の性質を生かしているのです。
 昔は木挽(こび)きさんが大工さんの上をいくくらいでした。木挽きさんが木をひいて、『これはああ使え、あれはこう使え。』と言っていたのです。宴席でも大工の棟梁より木挽きの方が上座に座るぐらいだったと聞いています。
 隅木(すみぎ)(隅棟の下にあって、垂木を受ける木)などは反っているでしょう。このごろのは反った木からわざわざまっ角に材を取り、そのまっ角にしたものを、また反らすようなことをしているのです。木の耐力がものすごく弱るのです。昔は反ったままの木を、木挽きさんが上手に切り、『これは反っているから、こういう風に隅木に使え。』と指示していたのです。ですからものすごく強度があるわけです。今のは極端に言えば、目が切れてしまっているので、案外に持ちが悪いのです。昔の家は壊してみると、木を上手に倹約して使っていて、よくこんなにできるものだと感心させられます。今になって木挽きさんの木の取り方に、魅力を感じているのです。」

 イ 地震が来ても

 **さんは構造と家の耐震性について、次のように話した。
 「今ごろは以前ほど、継手や仕口のことをしなくなりました。してもただ短いホゾを付けて、ボルト穴をあけて、ボルトで締めるようになりました。組み合わせではなくて、締め付けるわけです。ですから地震が揺って家ががくっとなったら、後戻りが出来ないのです。『ボルトで締めているから大丈夫です。』と自慢しますが、ボルトは金属で、相手は木ですから、ぐうっと来て、さらにぐっぐっと揺れが来たら、もう元には戻らないのです。いくら新しい家でも地震に弱いのです。金具ばっかりで、後からひっつけて行くばかりですから、弾力性がなくなり、くるったら後へ戻らないのです。
 私のこの家が、かれこれ50年になりますが、先日建築士が調べに来て、『**さん、お宅は建て付けが一つもくるってない。』と驚いていました。大体40年も50年もたった家は、建て付けが上が透くか下が透くかするものです。そういうような仕組みにしておけば、地震が揺っても後へ戻る弾力性が出るのです。木の栓(せん)で止めてあるから、くるいが少ないのです。
 私のこの家はみんな長いホゾを作ってずっと差し込んで、こちらの面で木の栓を打ち込んで止めるのです。これを栓とりといいます。栓とりの仕事をしてある家でしたら長持ちもします。そういう仕事をこのごろの大工はしないのです。手間がかかるからです。
 今は早いのが一番、安いのが一番なのです。そうだからプレハブやツーバイフォー工法(枠組み壁工法)が多くなるのです。ツーバイフォー工法も打ち付けている部分は強いのですが、向こうとこちらを四角にぬってボルトで締めた部分は、一度ぐらついたら、その一隅の箱そのものはくるわないのですが、箱と箱をひっつけた部分は戻って来ないのです。木造建築の相手にボルトというのは強くないのです。
 私が弟子に行っているころに、郷里の由良(ゆら)半島に大きい総2階の立派な家がありました。幅が3間半(約6.3m)長さが8間(約14.4m)くらいありました。あるとき後ろの山が崩れてきて、ずりが来てぐうっと傾いたのです。『おっとひどいこと傾いているなあ。』と驚いていました。ところが落ちてきた裏の土を取りのけると、じわりっと起き直っているのです。まっすぐではありませんでしたが、これを見たときに、『栓とりは良いなぁ。』と心の底から思ったものです。昔はそういう細工をした家がかなりありました。今はまったく見かけません。」

 ウ 木と鉄

 **さんは建築部材の木と鉄について、次のように話した。
 「私は若いときから、刃物の研ぎ方について、欧米人と日本人は感覚がまったく違うと思っておりました。日本人はカンナの刃を研ぐときは、真っ直ぐすかっと研ぐのが最良なのです。ところが欧米人はグラインダーを使って刃先をえぐるように、見事に研ぎ上げます。どちらかというと欧米人の方が鉄を上手にコントロールできるのです。
 私は建築においても、鉄の長所を生かして使えないものかと、いつも考えておりました。木の角材で、土壁で瓦葺(かわらぶ)きの家の軒桁(げた)や2階梁(はり)などは、荷重に耐えられるスパン(支柱間の長さ)は2間(約3.6m)までが無難だとされています。木はスギ、ヒノキ、マツ、ツガ、モミ、カシ、ケヤキなどそれぞれ材質が違うのです。樹齢、育ち方、曲がり、節などさまざまです。断面(角材の寸法)を決めるはずの構造計算もあまり頼りになりません。それに引きかえ、梁などでも鉄なら長い物も可能です。木の仕口に似た鉄の仕口を考えてみたいと思って、若いころに電気溶接とガス溶接の資格を取りました。
 近畿方面で戦後いろいろな建築の着工から竣工までを見てきました。商店などで下は鉄骨、上は木造という家もたくさん見ました。丈夫で安くて住み良い家を思うと、鉄は安くて引っ張りや曲げには強く、部材としての魅力はあるのです。大手の建設業者が、大きなことをやっているのを見て、『大工が負けてたまるか。』と思ったのです。
 梁なども丸太を使うよりコストは安くなります。施主が納得してくれれば、一部に鉄骨の部材も使って、家を建ててきました。鉄は穴を開けても、切っても正確に出来ます。狂いも来ないので、寸法通りにやっておけば、きちんと組み合わすことが出来ます。和風と言われれば、鉄があちこち顔を出す訳にもいけませんが、見えない部分には、長所を生かして鉄を使っても良いと思うのです。
 しかし単純に組むだけではいけません。鉄がどうしたら木になじみやすいか、今も日夜考えています。木に鉄を近づけて行きたいのです。木を傷めずに、継ぎたいのです。長所を生かしながら、締めて継ぐにはどうしたら良いか。鉄と鉄なら剛と剛ですが、鉄と木は剛と柔です。その継ぎ手をいかに木の方に無理が行かないようにするか。ボルトだけで締めたら良い訳ではなく、鈎手(かぎて)のようなもので木を引きつけたり、箱状の物をかぶせて、木を保護するなど、工夫し勉強しなければなりません。」