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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)古民家の保存と再生①

 ア 「石畳の宿」にかける思い

 喜多郡内子町石畳(いしだたみ)地区は小田川(おだがわ)支流麓(ふもと)川源流域に位置し、内子の市街から12kmほど北方向に分け入った、伊予市双海町との境に近い山村である。小川の流れや棚田の景色を目にするこの地に、古い民家を移築・再生して村おこしを図っている石畳の宿がある。
 喜多郡内子町内子の**さん(昭和15年生まれ)に石畳の宿ができた経緯や村並み保存にかける考え方、思いなどについて聞いた。
 「私は昭和60年(1985年)ころから村並み保存運動に携わっています。農村の疲弊からくる村の崩壊は町の崩壊につながります。村が元気でなければだめなのです。村並み保存運動はそういう考え方で取り組んでいます。農家の人たちの元気を引き出す施策や運動の手立てが大きな根底になっているのです。
 そこで、私たちの運動で村並み保存運動と称してやっているシンボル的な施設が石畳の宿(口絵参照)なのです。事情を知らない人は石畳の宿を地域おこしの観光施設としか見ていないようですが、そうではありません。今まで農村社会に生きる人たちの自立を促す農村政策の一番大きなテーマが、戦後経済成長の中で欠落してきたと思っています。村おこし運動は20年、30年と継続する運動です。
 石畳の宿は6,000万円の投資です。今あの宿で働く女性やその主人たちは元気になっています。また石畳地区は地域としてのブランドも出来つつあります。先日も『町村合併があっても石畳の名前が消えてしまうことのないように、石畳ここにありといったブランドを作って、子や孫に引き継ぐことを村おこしのテーマにしよう。』と話し合いました。この地区の数名は昨日までスイスに行って、農村景観形成の勉強をして帰って来たばかりですが、現在はそれほど活動が充実しています。最初は『石畳などという辺ぴなところで、宿をやっても人は来てくれない。』と信じて疑わなかったのですが、地域の良さとはこういうものだということを示したのが石畳の宿なのです。
 村並み保存という言葉を最初に使ったのは、昭和62年の湯布院(ゆふいん)で行われたまちづくりシンポジウムでした。その中で、『これからは村並み保存の時代です。市や町の時代ではありません。』ということを発言しました。当然農村景観という領域は入るのですが、20年ほど経過して今やっと景観法ができました。石畳の宿は、農村景観形成の一助でもあるわけです。あれだけで1枚の絵になるでしょう。石畳地区の人々が農家として、また田舎に住む人間として将来を見据え、子どもたちが希望を持って豊かな人生を送れるようにしていかなければならないのです。
 このようなことを20年余り考えてきたのですが、苦労より喜びのほうが大きかったですね。要するに村人がどのように生き生きと活動していけるかが、石畳の宿のバックボーンのすべてです。」
 古民家の再生について、**さんは、「廃屋の再生については、環境問題として考えなければなりません。今地球に生きているすべての人間の課題なのです。資源を使用して造られたものの多くが、廃棄物になります。公共事業で造られたものも、スクラップになると産業廃棄物に変わります。村並み保存は、そうではないのです。白アリさえ入らなければ、柱や梁(はり)、桁(けた)などの木材はほとんど使えます。江戸時代から明治時代の住宅建築はみんなそれですから、捨てたりはしていません。屋根瓦や壁土も同じです。そういうことを農家の人に知ってもらうために、あえて築後80~90年の廃屋を使用したのです。
 その代わり、建築費は新築の5割増しです。新築でも坪60万円で出来るものを、廃屋利用で坪90万円かかるのですから矛盾ですよね。ところがこの廃屋利用が重要なのです。だから今あの宿が洒落(しゃれ)ているのです。新築ではあそこまでいきません。こだわったのはそういう背景があったからです。こういう価値観はイタリアやドイツ、スイスなどではごく普通のことだと思います。
 近年石畳地区のホタル人気も高まってきているようですけど、石畳地区の人々は元気です。道しるべ(写真3-30参照)があったでしょう。あれは地元の若い人たちの創作です。彼らは技術的にも美学的にも相当なものです。
 少しずつそのような考え方が石畳地区の人たちの中に浸透していますから、今後子どもたちに伝えていってくれるだろうと期待しています。こういう運動は、親から子へ、孫へと引き継がれて、初めてひとつのものが出来上がっていくのではないかと思います。」と語る。

 イ お客の心に安らぎを与える

 喜多郡内子町石畳に居住し、「石畳の宿」の管理人をしている**さん(昭和27年生まれ)に、農家を移築した経緯や再生した宿の建物、内子町や地域住民が取り組んでいる村並み保存運動などについて聞いた。
 「石畳の宿は平成6年(1994年)8月にオープンしました。現在の敷地の少し高所にある岡(おか)ノ成(なる)地区で80~90年ほど経過した農家を内子町が買い上げ、移築・再生して宿として活用しながら『村並み保存運動』を展開しています。農家は瓦葺(かわらぶき)で中2階であったため養蚕農家ではなく、この地区はかつて林業が盛んであったので、林業を生業としていたのではないでしょうか。
 この農家は玄関に続いて三の間、次の間、座敷と並び、奥に居間、仏間、納戸があり、土間には炊事場があったようです。中2階は物置として使用され、上がり降りするはしごは取り外しのできるものでした。風呂は4畳半の仏間の外側にあり、便所は座敷の外側にある回り縁の先にあったようです。建物はずいぶん傷んでおり、柱などもだいぶ腐っていました。

写真3-30 道しるべ

写真3-30 道しるべ

喜多郡内子町石畳。平成17年10月撮影