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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(4)三津のおもちゃ屋

 三津で生まれ育ち、おもちゃ屋を営んでいる**さん(昭和6年生まれ)に話を聞いた。
 「元々私の家は旅館をやっていました。三津は港町で、関西や九州、瀬戸内海沿岸各地からたくさんの人が来て泊まったといいます。物心ついたときに母は旅館を、父は表の1階部分で小間物店をしていました。小さな店でしたが、私は小学校3年ころから父の手伝いをしました。戦時中はぜいたく品ということで小間物店はやめましたが、昭和31年(1956年)に父と一緒に現在のおもちゃ屋を始めました。しばらくは旅館とおもちゃ屋両方営んでいましたが、昭和40年代に旅館はやめました。
 おもちゃ屋を始めたのは12月でしたが、クリスマスにお客さんが列をなしてやって来て、店の商品がほとんど売れ、店が空っぽになったのを覚えています。最初は60~70品のおもちゃを置いていましたが、中でも雛(ひな)人形がよく売れました。特に中島(なかじま)など島の人がよく買いに来ました。当時は朝の8時から夜の10時まで店を開けていました。三津には一文店が結構あり、そこでパッチンやランコンなど簡単なおもちゃは売っていたので、うちには置きませんでした。ランコンやパッチンを置いたのは一文店がなくなった後のことです。
 おもちゃがよく売れたのは、クリスマスやこどもの日、敬老の日です。誕生日のプレゼントを買いに来ることも多かったです。うちは一文店より価格の高い商品を置いていましたので、親子連れで買いに来ることが多かったです。
 よく売れたおもちゃは、時代により違いますが、昭和30年代にはホッピング(昭和31年流行)、フラフープ(昭和33年流行)、ダッコちゃん(昭和35年流行)、ローラースケートなどがよく売れました。特にダッコちゃん人形は、飛ぶように売れました。昭和40年代になると卓上のボウリングゲームや野球盤がよく売れました。その後アメリカンクラッカー(昭和46年ころ)やウルトラマンの人形(昭和50年代)、ルービックキューブ(昭和55年ころ)など、その時代時代に流行したおもちゃがありました。男の子は銀玉鉄砲(昭和34年発売)や巻き玉鉄砲(昭和30年代はブリキ製)もよく買いに来ました。かんしゃく玉や2B弾も売れましたが、過激な遊び方をしてけがをする子が増え問題になりました。三津でおもちゃ屋をしていたのはうちの他に何軒かありましたが、今はほとんどなくなりました。」