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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(2)子どもの遊び場

 「川遊びは、千丈(せんじょう)川と五反田(ごたんだ)川が合流する出合い(これより下流は新川(しんかわ)という)でよくやりました。深い淵があり、石段の上から飛び込むことができました。当時は川の水がきれいで、カニをとったり、釣りをすることもできました。川ガニ(モクズガニ)は石垣のすき間におり、ツメに毛が生えているため、触れるとぬるっとした感触がしました。満潮のときはこのあたりまで海水が入ってくるため、いろいろな魚がいました。ここは狭いため、水遊びくらいしかできず、泳いで遊ぶのは新川の河口付近でした。河口付近には石積みの岸壁があり、ここではウナギがとれました。遠浅で、小学校低学年でも泳げましたが、潮がひくとバケツ一杯になるくらいアサリがとれました。
 小学校高学年から中学生になると、河口の北にある港の岸壁のあたりで泳ぎました。トロール船の甲板からもよく飛び込みました。当時別府(べっぷ)行きフェリーの桟橋は北浜にありましたが、フェリーが出航する際、子どもたちは一斉に飛び込み、近くまで泳いで行きました。フェリーが通った後の大きな波が子どもにとっては面白かったのです。波が静まると、そのまま対岸の向灘(むかいなだ)に行き、陸に上がって干してあるイリコを失敬して腹ごしらえをし、また泳いで帰りました。炒(い)った大豆を袋に入れて海水パンツにくくりつけ、しばらく泳いでいると海水を吸って適度に膨れて大きくなり、塩味もついておいしかったです。
 愛宕山の上に配水池があり、水槽の上にコンクリートのふたをして芝を植え、ちょっとした広場になっていました。鉄条網を張り巡らせ立入禁止でしたが、入って遊びました。ここは見晴らしがよく、紙飛行機を飛ばす競争をしました。気流に乗ってずっと遠くまで飛んでいくのが面白かったです。虫もこの山にいっぱいいましたが、ずっと上の萩森城址(はぎのもりじょうし)は遠いのであまり行きませんでした。
 松蔭小学校の裏(南)のお四国山(しこくやま)でもよく遊びました。お四国山にはミニ四国(四国八十八か所を模して開かれた四国山霊場八十八か所。約2kmの巡拝自然遊歩道がある。)があり、1番の愛染(あいぜん)堂から山をぐるっと1周して、88番の萬松寺(ばんしょうじ)で終わりです。体育の授業でこれを1周する『お四国マラソン』というのがあり、松蔭小学校の子にとっては庭のようなものでした。お四国山にはカブトムシやクワガタムシもいました。小学校の裏は田んぼと竹やぶでしたが、卵からかえったヘビが田んぼの中を泳いでいるのを捕まえ、廊下をはわせて競争させたこともあります。田んぼでは、草で輪を作ってひっかけ、イモリを捕まえたりもしました。
 八幡(はちまん)神社に上がるところがツバキ林となっており、ここに入って陣地を作ったり、かくれんぼをしました。ここは草が生えずにつるつるになっていました。
 現在昭和通りにある聖母幼稚園は、カトリックの教会が経営していますが、ここは昭和20年代まで麦畑で、近所の子は麦刈りが終わった畑で、柔らかいボールを使い、三角ベースで遊びました。この土地は教会を建てるために購入したもので、戦時中にはスペインから日本語が話せる若い神父さんが2人来ていました。教会が建てられたのは昭和25年(1950年)ころです。」