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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

2 今治のタオルの流通

 「今治市は四国の大阪といわれるほど商工業の盛んな都市である。神戸や大阪との結びつきによって、藩政期からの木綿生産をいち早く明治に入って伊予ネル産地へと転換させた。さらに今治平野を貫流する蒼社川(そうじゃがわ)の水質の良さと水量の豊富さと、培われてきた織機改良への努力などによって今治タオルの名声を得るようになった。泉州(せんしゅう)(大阪府南部地域)の後晒(あとさら)しタオルをしのぐ先晒しの高級タオル産地となった。また来島(くるしま)海峡に臨む海運・造船の伝統が県内で最も早く陸海交通の要地として発展の基礎を与えていた。天然の海の運河といわれる瀬戸内海の幹線航路に沿った位置にあり、繊維問屋・商社の集中する大阪市場と直結する数多くの船便や対中国筋を結ぶ船便があり、鉄道と二本の国道が交錯する陸路をもっていた。また繊維品を扱うわが国の代表的商社のほとんどが今治市に出張所を置き、タオル原糸の売りつけを行っており、商取引上の支障が少なかった。昭和30年(1955年)ころには150社くらいであったタオル工場も、昭和60年(1985年)ころの最盛期には約500社が集中立地し、タオル検査数量、織機台数ともに日本一のまとまったタオル産地を形成していたので、東京、大阪、名古屋のタオル問屋からの買い付けが多くなった。
 昭和63年のタオル総生産額は約756億円に上り、全国の生産量の63.5%を占めていた。しかしそれ以後しだいに外国製品の輸入量が増え、タオル関連企業が海外へ生産拠点を移していくようになり、今治のタオル産業は、地域産業としての新たな取り組みを試み始めている。近年は、「今治タオル産地ビジョン」の策定や、東京や海外での商品見本市への出展、また生産業者と消費者をつなぐ「実需直結」のさらなる推進を行っている。
 戦後から昭和50年代までのタオルの生産面の動きと商品流通(図表3-1-3参照)について、**さん(昭和3年生まれ)と**さん(昭和5年生まれ)から聞き取り調査した。お二人は御自身の体験をもとに『えひめのタオル八十五年史(②)』をひもときつつ次のように語られた。」


図表3-1-3 原糸からタオル製品ができるまでの概要

図表3-1-3 原糸からタオル製品ができるまでの概要